2015年07月04日

覚え書き(カウンセラートレーニングの会)

6月のトレーニングの会。

私はある一つの話を聴いてもらいたかった。
それはあるやりとりに遭遇したことからだった。

話すことができてよかった。
話が聴けてよかった。

うまくまとめられなかったので、メモ書き丸写し2部構成で。


(ある日のメモ書き)

優しさとは?

あるやりとりをみた。
テーマは優しさ。
ん?ちょっとモヤモヤするぞ。
自分の言動を優しさと己が名づけてしまうのはどんなもんだろうか。
まずそう感じた。

これは私の優しさなの。と。
優しい気持ちからの行動なのと、自分で言うか?って。

でも、あの人は優しいとか、あなたは優しい人だとか、私もよく言う。
人に優しく。自分に優しく。
今までずっとそんな言葉を何気なく口にしてきた。
でも優しさって?
このモヤモヤってなんだろうか。

やりとりの中で、優しさとは、自分の価値観を押し付けているだけと言っている人に対して、感謝や評価を期待した時点で自分自身への優しさになるだけでは。と、応えているのをみながらさらにモヤモヤしだしてうーーーんと考えてしまった。
私の中でめちゃ引っかかったわけだ。

では、無私の心で相手のことだけを考えた言動が優しさということなんだろうか。

喜んでくれたら嬉しいなぁと考えたら相手への優しさではなくなるのか。

相手は何を望んでいるのだろう、と私が考えるものは、相手の本心と一致するかはわからない。
自分が必要でも他者もそうだとは限らないんだ。
そこを忘れてはいけないのではと思う。
その上で相手を想い考えることができればなぁと思う。

で、その時もし何か行動する、あるいは行動しないと決めることは、たとえそれが相手を想ってのことだとしても、結局自分がやりたいことだし、自分自身の価値観バリバリだよなぁと。
他者からの評価や感謝は関係ない。
自分の意思。
けれどそれは押し付けるものでもない。
願いみたいなものかなぁとぼんやり考えている。

結果的に相手が受け取ってくれ、しかもそれをなんらかのプラスのイメージとしてとらえてくれたら…。優しさとか思いやりとか。
そんなふうに感じてくれたとすれば、こんなに嬉しく幸せなことはないけれど、そうは思ってもらえなかったとしても仕方ない。
行動する自由があれば、受け取らない自由もある。

あと、もういちいちめんどくせぇなぁと我ながら思いつつも、優しさと宣言されてしまうと、それをいらないと拒否する側がきつい。
そんな気持ちも湧いてくる。
多分、受け取らない自由もあるといいつつ、私の中には、優しさ=受け取らなければいけないものという図式がある。
で、きっと、受け取りたくないぜ…と、感じたことも何度となくありながら、相手が気を悪くすることを恐れて相手の期待通りに受け取らなければ…とかやってた。
それこそ他者からの感謝や評価をもらい自分が喜びたいだけという優しさの押し売りだと感じたとしても。
もうあれだ。
一方的な感情なんだ。
優しさを装ったそんなものに対する嫌悪感。
「あなたのため。」というニュアンスからはどうも対等な関係を想像しづらい私である。

…で、何が言いたいんだっけ。
人の言動を見てそれはあなたの優しさだよねと言っている私だが、自分の言動を優しさとは言いたくない。そう私は思っている?
そういうこと言う人のそれも優しさじゃないし!って思ってる??
あーー、これもちょっと変かもなぁ。
もう少し考えてみよう。

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(トレーニングの会のあとのメモ書き)

優しさについてみんなの意見を聞かせてもらえた。
私は「優しさ」をほかの言葉に変えるとしたらなんだと思いますかとたずねた。
なんだか言葉にすごいこだわりをもっていたんなぁと今は思う。

そんな質問に先生や仲間は真剣に考えてくれて、私がその時点で思いついていた、思いやり、愛情、願い(願いは会では言わなかったけど、)に対して、自分が思いつきもしなかったものが出たことで、私が嫌悪感を抱くのは「優しさ」ではなく「易しさ、容易さ」なのではとハッとしたり、私のぼんやり思っていた「願い」は「真心」に繋がるものかもなぁと考えたり…。

あー、話してよかった。
という感謝の気持ちでいっぱいだ。

言葉にこだわってるって気づいてない私は、みんなの話を聴きながら、言葉を大切に使いたいと思っていた。
でも、どんな言葉を使おうと、自分が気づいているかは関係なく、自分の心が望んでいることはなんとなーーく伝わってしまうものなんだ結局ってだんだん考えだしていた。

仲間の意見を聞いていると、自分がいかに自分の心が置いてきぼりの思い込みに縛られているのか見えてくる。
自分の頭の中だけでこれが正しい!!これが正義だ!!と考えていても、様々な価値観に触れることで、そのこだわり自体が些細などうでもいいことのようにだんだんと感じてくる。
投げやりとかとはちょっと違う感覚。
なんでもいい自分ではなくて、いろいろあっても自分の中に「揺るぎない私」がいればいいんだって。

やはり一人で思考は限界がある。
実際に人と関わることが一番の学び。

で、私は自分を優しいっていうのはどうよ!?とモヤモヤしていたが、別に「これは私の優しさです。」っていってもいいか。と、ゆるーくなってみることにした。


人の考えに影響を受けることがあっても、それに振り回されない。
それは自分と他者との境界線を知っていること。

これからもたくさんの考え方をを知ることにより、様々な場面でも受容・共感する力を強くしていきたい。
そして、たくさんの考え方のなかでも「私」を持っているからこそ「違う」がわかる。
自己一致して物事を見つめていこう。


会の冒頭に先生が受容・共感・自己一致について話してくださったことが見事にリンクしていておもしろ怖いと思う私である。

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posted by 静 at 19:02| Comment(0) | 修行中
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