2015年08月03日

それでも進んではいるのです。(カウンセラートレーニングの会)

暑いです。猫もダレています。

@bayochanが投稿した写真 -




7月の終わり、カウンセラートレーニングの会に向かう道、暑くて息をするのも苦しいなぁと歩いていたら、横からヒョイと覗き込んできた可愛らしい笑顔。
「あーー!Aちゃん!」と言いながら、自分の顔を上げる動作から俯いて歩いていたことに気づきつつも笑顔を返す。笑ってご挨拶。
1か月は早い。早いけどその間にいろんな事があった。
また会えて嬉しい。
そう思いながら、なぜか猫から受けた傷の話をする私。
傷自慢。(笑)
いいのだ。この話をAちゃんにとてもしたかったのだ。
調子に乗って自慢していたら、後ろでそれを面白がって聞いているMさんがいた。(笑)
Mさんとは数日ぶりの再会。
サロンに久しぶりに伺うことができ癒されたばかり。
すぐに会えることがこれまた嬉しい。


今、自分の心の中でおきていることをわかりやすく話したいなぁと思ってはいるのだが難しい。
会話でも、文章でも。
あちこちへ話が飛び、とっ散らかった印象になる。(…と、自分は感じている。)
けど、浮かんでくる想いはその浮かぶままで良いか…と、このブログを書きながら思う。(言い訳?(笑)


いつかの教育分析の時に先生から、私の話が誰の状況を語っているのかわからなくなる時があると言われハッとしたことを思い出す。
その思考は自分のものなのか、妄想により生みだされた、境界線の曖昧な誰かの考えモドキなのか。

私は他者の思考に意識が行き過ぎて自分の本心を見失う傾向が強い。
自分の課題に取り組んでいるつもりだったのに、実は人のものだったとか。

共感する部分はそのままに一つ一つ丁寧に確認していく作業中。

今回のトレーニングの会でも、投影の嵐。
もう凄まじいまでの。
けど、投影って気づいていることって大事だ。
自分のある部分が鏡のように映しだされている感じ。
モヤモヤしてわからなかったものが目の前にある。

自分の見たくないものは、自分を痛めつけるためにあるのではない。
ただ知ってほしいだけ。
知ってほしいのは、痛めつけたいわけではない。
助けたいからなんだ。
本当は一番の味方。
そんな言葉が頭に浮かんだ。

いろんな人がいる。
様々な価値観がある。
そんな中で、自分自身を守り、大事にできる場所があること、それをわかってくれる人がいることは宝物をもっているのと同じこと。

この世の全てを自分の思い通りに、自分のためだけの宝物にすることはできない。
今、持っているものですら奇跡のようなのだから。
それを大切にしたい。


Мさんのサロンに伺ったとき、あるやりとりから自分自身に対して持っているマイナスのイメージが現れた。
トレーニングの会でのシェアリングの時にいろいろ話した中にその話も少しした。

自分のある部分はマイナスだ切り捨てたいと考えるだけでも痛手だろうに、これに生い立ちだの自分ではどうにもできないものまでマイナスの根拠だとくっつけて、さらに痛めつけていた私に気づいた。
そうやって自分を傷めつけつつ、実現不可能な理想を実は他者に押し付けようとしていたことも。

どういうことかというと…
「信頼する人には100%、全ての私を見せるものだ。」
こういう思い込みが私にあった。
これ、信頼しているから全部背負ってくれって言っている。
そして、だからあなたも全部見せてとも言ってるなぁ。
重すぎる。怖すぎる。

様々な要素やタイミングやらが重なり(てか、当然だよ。無理だよ)この思い込みを実現できたことはない。(…はず。)
ええ、本当に実現できてなくて幸いですだよ。
で、見せるも背負わせるも(見るも背負うも)できない私は「だから私は人を信じることができない。」というぶっ飛んだ理屈を長い間信じていた。

近年、オイラってば信頼しているよ。間違いなく信じているよ。という場面が増えた。
こんなに信じているのに、人を信じられない自分がいるってなんじゃいったい…と混乱していたが、このたび謎が解けた次第。
これも仲間のおかげである。

と、この話もトレーニングの会でしたかったのだが、現在進行形で聴いてほしいことがあり過ぎで話せなかった。
ので、覚え書き。

自分の気持ちをそのまんま話せる場所に、聞いてくれる人たちに今回も感謝。
そして、会のワークの話までまたたどり着けないのであった。
posted by 静 at 22:34| Comment(0) | 修行中
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