2015年08月26日

マジな人たちとの楽しツライ日々(カウンセラーズトレーニングの会)


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何かつらい時や上手くいかない時、自分の思考や言動が原因でその結果なのだ。という思い込みが私の心にある。

現実には自分の言動や願いや努力とは全く無関係に受け入れ難い事も起きる。
そういった場合、自分がどうこうという問題ではない。

出来事に関して、自分がコントロールできるはずと思い続けることは自分自身を消耗させるが、あまり成果を得られない。
が、起きたことに対して、自分がどういった視点を向けるか、どの部分を取るか、何ができるか、あるいはできないかは自分の望むものを選ぶことができる。
意識的であろうと、無意識であろうと。

自分が選択しているのは、出来事ではなく、出来事の受け止め方だということ。
それは同じことのようで違うもの。
そこの部分が混乱してしまうと、とても苦しい。
出来事ばかりに目がいき、無意識に選択する受け止め方が、自分を傷つけ不幸にするものだとすれば、尚のこと見つめる部分は原因と結果の関係追求より、その選択パターン。

なぜ自分はそれを選ぶのか?
どんな結末の脚本を持っているのか?
本当はどうしたいんだろう?
理屈や一般論や世間体はいいから今の自分の心に聴きあてはめる。

そんなことを考えつつ、あーもう1か月。
今月のカウンセラーズトレーニングの会の日。

シェアリングの時間は話したいことをそのままに話すことができる時間。
しかし、今回はだいたいの時間を決めて話した。
短い時間で何を一番伝えたいか考える。
自分の中での優先順位が見えてくる。
私が一番初に伝えたいことは、今月は楽しかった!ということだった。
楽しいを一番に伝えたいってのが嬉しい。
その後に、自分と向き合うということの気づきとこれからの課題と考えている冒頭の話をしたのだった。
様々な場面でこれからどれだけ希望や喜びを選択できるだろうか。
ワクワクドキドキだ。

いつもより短い時間でも、仲間の誰もが本気で(ここはマジでと読みたい私(笑)生きてると感じたシェアリングの時間だった。

先生がおっしゃっていた。
人はもともと、それぞれギフトを持っている。
自分のそれを知っていることは実に幸福なことなのだとわかった。


そして今回のワーク。
背中を向けている相手に「おーい」と呼びかける。
呼びかけられた相手はその声がどんな風に届いたのか表現し、自分のハートに届いたと感じたら振り返りそばへ行く。
それだけ。
それだけなのに、自分のパターンが見えたり、心の中の小さな人が現れたりした。
何だこのワーク、すげぇ…(感想)。…語彙の乏しさが哀しい。

それはともかく…。

呼びかけた。
「おーい」
届け届け。
大好きだよ。
相手を想う。
そんな気持ちで呼びかけた。
届いた。伝わった。
受け止めてもらえた。
嬉しい。

交代して呼びかけてもらう。
「おーい」
「おーい」

いつも私はボヤーーっとしている。
その状態を再現していたために、声は聞こえるが始めは「呼んでるなぁ」という感覚。
けど、その声は私に向けてくれてると実感できた時の嬉しさ。
私が「私」というだけで呼びかけてくれるその声は、なんと暖かく感じるのだろう。

幸せとはこういうものなんだと思った。

ある人の時、呼びかけの状況を先生が変えた。
ワークしている仲間の勇気を見た。
ワークが終わってから諦めそうになったと話してくれたが、諦めなかったその勇気。

その様子を見ていた時、心がザワザワした。
私の中の諦めきった孤独な人を感じた。
私の心の大部分は感動し、励まされていたのに、その孤独な人の心の部分は重いままでワークを冷めた眼差しでジッと見ていた。

勇気をもらった。
受け入れられることの喜びを見ることで私も癒されていった。
…はずなんだが、その感情は、私のそうあって欲しいという願いなんだと家に帰ってから気づいた。
また未消化な部分。
今はこの感覚を大事にする。

あと、今回のワークをカウンセラーとしての視点で話す機会をもらったのだが、あまりうまくいかなかったと感じたので、それもじっくり考えてみよう。
posted by 静 at 23:28| Comment(0) | 修行中
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