2015年10月09日

ひとつの考え


この距離感がこのひとたちの許容範囲らしい。

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自分のことを受容してもらえる喜び。

人はひとりだ。
同じ時間を過ごすことはあっても。
みんなひとり。
だから気持ちを分かち合えることがとても嬉しい。

いろんな人がいる。
私は私のままでいい。
その中での自分の役割を果たしていこう。

人と違う感覚を否定しない。
それは自分にとって大事なものとなる。

*****

先日、教育分析へ行って、とても嬉しく幸せを感じた出来事があった。
それで、↑のようなメモを書いた。片言である。

その数日後、ぼんやりとTwitterのタイムラインを眺めていた時に、あるまとめが目にとまった。
イラストレーターの方のつぶやきをまとめたものらしいが、うぉぉ…と思ってしまった。(また謎の擬音だ…)
その人は戦っていた。
画面の向こう側にいるたくさんの自称善い人達と。

その人は自分のつぶやきに対してのアドバイスを一切拒否している。
だか、そう何度も明言しているのに、つぶやきのたびに善い人からの「こうすればいいと思います。」とか、「心配です。」的なリプが飛んでくるようだ。
それを、「ありがとうございます!アドバイス罪です!」と言ってから全てブロックしている。

善い人はビックリする。
あなたの為を思ってのことなのに、どうしちゃったの?と。(ここは私の想像だが…)
が、その人にとって、頼んでもいないアドバイスは、自分の脳を停止させてしまうことで、緩やかな殺人だとしている。
自分で決めて、それが最善だと考えていることに対して、全く別の方法を勧めてくるのはなぜだろうという。
さらに、本当に協力し合わなくてはいけない時に、知らんぷりしている人にはアドバイスしたほうがいいと思うが、自分に被害の及ばない事柄に関して世話焼きになり、助言する人達は一体なんなのだと思っている。

まとめを読み進むと、その世話焼きさんが、あなたは誰のアドバイスも聞かないんでしょうね…とか言ってて、それもなかなか興味深い。
Twitter上ではない、自分にとって必要なアドバイスは聞くよ、助け合う時には助け合うよ。と、一貫して言い続けてるのに。

それにしても、あなたのアドバイスは必要ない。と、これだけハッキリ言い続けてるのは、すごいなぁと思う。

これらのやり取りを読んで、アサーションをするときも、ユーモアがかなり助けとなるんだなと感じた。
…アドバイス罪ってネーミング、素敵すぎ。
それでも、なんにせよ伝えたいことを真剣に伝えようとすることは、自分のエネルギーをとても消費することなんだとも思った。(9月のトレーニングの会のワークにもリンクしてる。)

まとめを読み終えてからしばし考えた。

これはいつかの優しさについての話にも繋がっている。
人はそれぞれ違うものと考えるのが難しい時がある。

日々の中で、互いを尊重しつつそれぞれの中にある似た感覚や思考を理解し、分かち合えるということは、当たり前のことではない。

冒頭のメモが、なんだか片言なのは感動のあまりうまく表現できなかったからなんだが、当たり前のことじゃないんだ、すごいことなんだって思ったら、私の感動度合いも、片言にも納得した。
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posted by 静 at 20:32| Comment(0) | こころの話
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