2015年11月03日

感想文その2 まだまだ拾うぜver

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トレーニングの会の次の日、庭園美術館に行こうと家を出た。
実は一度行っているのだが、イベントに参加するための丸玉を忘れたり、その他にもいろいろと納得いかないことがあったため仕切り直したかった。
今回は忘れないように早目にビーズの丸玉をカバンに入れ準備は万端のはずだった。
…なのに。
目黒駅からのんびり歩いて美術館の入り口に着いたらまさかの休館日の看板が。
……もうさ、なんで確認しないんだろうと己を呪う。
しかし呪っていてもどうにもならん。
美術館の後、元気があったら渋谷で映画を観たいなぁと考えていたので、慌てて時間を見てみると、観ようと思っていた一つ前が、ギリギリ間に合うかという時間に上演することがわかった。
超早歩きでまた駅に戻り渋谷へ向かう。
渋谷駅からもガシガシ歩く。
普段は歩くのが遅いと言われている私だが、上演5分前に到着できた。
やればできるのね。
ハアハアいってるけどね。

それほど大きくない劇場内はいっぱいで一番前しか空いていなかった。
首が痛かった。
ここのシアター、二度ほど来てるがあまり混んでないイメージだったので驚く。

さて、座って落ち着きふと思う。
最近観たいと楽しみに思うものってもれなく暗いがこれもそうだろうか…。
同行者にそれを伝えてみたら、そうかもねぇと笑われる。
いやいやいやと考えを打ち消していると映画がはじまった。
「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」
ドキュメンタリー映画である。

物語はある青年がオークションで大量のネガが入った箱を競り落とした事から始まる。
自分の求めていた写真は見つからずその箱はしばらく放置されていたが、ある時改めて見て撮影されたものの素晴らしさに気づいた。
web上に何枚かアップするとコメントで絶賛された。
それから全てのネガを自分の元へ集めだし、撮影者を探したが何も手がかりはなかった。
しばらくしてからもう一度撮影者の名前を検索したら一件だけヒットした。
それは数日前の死亡記事。
そこから撮影者、ヴィヴィアン・マイヤーを知る旅が始まる。

謎だったヴィヴィアンの姿が徐々に形作られていく様に、この映画の監督でもあるネガの持ち主の執念みたいなものを感じた。

写真の素晴らしさだけでいいじゃん。
その人がどんな人間だったかなんてどうでもいいじゃんと思うが、謎は解きたくなるし、知りたいと思うのが人なんだろう。

ヴィヴィアンと関わった人達の証言でストーリーが進んでいく。
なぜか語る人たちの話が食い違いを見せていたりして面白かった。
でも、どれも本当の彼女だと思う。

ヴィヴィアンはナニー(乳母)として働きながら15万枚以上の作品を残した。
カメラを持ち歩き、撮影をしていたことを知る人はいても、その作品を見た人というのはいなかった。
誰にも見せなかったのである。
その作品は、街ゆく人々や子どもたちの様子や、そして自分自身をありのままにとらえている。

映画では、撮影された作品の素晴らしさを知ると同時にヴィヴィアンの暗部が見えてくる。(!!!やはり暗い。)

気難しく人との関わりを嫌う。
ある子どもたちへの虐待。
物を集め続けることでの周囲とのいさかい。
孤独。
ヴィヴィアンは悲惨な事件の新聞記事を好み、ほらね。やっぱりね。といった様子で読んでいたそうだ。
暗部の最たるところだろうが、そこで私は「そうか、彼女も人間クズ説を唱えていたんだな」と思った。

変わり者で他人の進入を許さず、闇を抱えた彼女だけど、その作品からは人が好きでこの世界が好きだという想いが溢れてるように見えた。

写真集が欲しくなった。

しかし、彼女は今の状況をどう思うだろう。
作品が人に認められることは望んでいたかもしれないが、知られなくないこともあったのでは…。
映画が終りそんなことを考えながら外へ出たら、同行者に、お前さんやっぱり暗さを選び取ってるねぇと言われた。
posted by 静 at 12:54| Comment(0) | 日記
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