2015年11月12日

特別扱いはおしまい


教育分析に行く。

途中で見かけたママと赤ちゃんがとても可愛かった。

彼は自分で歩きたかったのに、急ぎたいママに抱っこされて怒っていた。
ママは「抱っこのほうが早いでしょ」などと言ってなだめていたが、そんなママの都合は彼にとって重要ではないのだ。
「ボクは今!今この時を歩きたいの!!」と、訴えるかのようにママの頭をポカポカ叩いていた。

自分の子どもが小さい頃、同じような場面に遭遇したら、いたたまれない気持ちとか、批判的な気持ちとか浮かんでいただろうなぁと思う。
でも、今それはとても微笑ましい光景に見える。
歩きたいんだねぇと思いながら見守っていたら、頭をポカポカされているママの隣を歩くお友達であろうママと、そのママに抱っこされてる赤ちゃんが、怒っている彼にちょんちょんとチョッカイを出し笑った。
すると、今まで大激怒だったその人がケラケラ笑った。
それとほぼ同時にママ達がワッと声をあげて笑った。
二人の赤ちゃんは抱っこされたままお互いのおデコをくっつけてまた笑った。

あまりに可愛くて、それを見ていた私も自然と笑っていた。
ふと目をやると、たまたまそこにいた通りすがりの幼稚園くらいの彼も様子を見て笑っていた。
なんだかホンワカした優しい世界がそこにあった。
それまでどんよりした気持ちで歩いていたが、ちょっと幸せな気分になった。

先生のところへ着くなり、その話をして私は喜んでいた。
…が、それだけのことだと、このときは思っていた。

先生と話をしていくうちに、私はあることに対し「みんなそれぞれの何かに怒っている。」と言った。
そういう状況にいるんだろうなぁという意味で言っていた。
が、次の日、先生のブログを読んで、いろいろと思い返してみるうちに私の怒りの捉え方の歪みに気づいた。

そうなんだよ!
みんなそれぞれの何かに怒っているんだってば!
それはたいていは特別なことではなく日常。
人は日々、大小あれど様々な怒りの感情を持つ。

私にとって、怒りは恐怖だった。
かつて、一方的にぶつけられ見せられた怒りの感情を不快だ、不当だと伝えることはできなかった。
恐怖は悲しみという感情もくっつけて怒りと共に心の奥にしまい込まれ留まり続けた。

ずっと怒っている人が苦手だった。
が、実際は自分自身が一番いつも怒っていた。
そのことが嫌でたまらなかった。
だから、怒りと無縁な人に見られると安心した。
温和な人とか?
…全然温和ではないのに。
そして、温和な人にだって怒りの感情はあるはずなのに。

「気が短く激しい」というのが私の主成分だ。
主成分なのにそこは自分の嫌だと思う部分だ。
なぜなら私にとってはその主成分=怒りだから。
怒っても良いと、怒りも大事と許可をしていても、「それは良くないことなんだけど、ま、必要だからさ…」って、心の奥では考えてた訳だ。
きっと、ずーーっと怒りは特別だった。
だからいつも怒りの裏側の何かを探した…?
……。
私の主成分=怒り=恐怖=父
という図式に今たどり着き、ぎゃーー!!という気持ちと、あーやっぱね。という気持ち。
「違うもん!同じじゃないもん!」と、自分の怒りにはほかにも何かが必ず隠れていると思いたかったのか。

でもさ、この図式間違ってる。
同じじゃないから。

喜怒哀楽はただの感情。
それぞれの感情に優劣はないのだと、何度も何度も思い返そう。

先生のところに行く途中で出会った赤ちゃんの出来事がリンクする。
そこには感情がただ感情のまま存在していた。

怒りたいから怒る。
笑いたいから笑う。
そのまんまの世界。

そんな世界を私も今、生きているんだ。

先生の所へ向かう前からヒントは示されてたのかー。
いや、そうじゃない。朝からだ。
その日見た夢が、喜怒哀楽そのまんまだった。
Мさんが、お店でメッチャ怒ってたの(笑)
私がそれを店側に伝えようとしてる夢。

Мさんは私の次の時間に予約を取っていて、少しだけお話した。
その時に、今日は夢に私が出てきたので会えると思っていたと教えてくれた。
夢の中の私は蛇を持ってМさんを追いかけていたそうだ。(笑)

ここ数年、怒りが自分のテーマだなぁと感じてきたが、これ、数年どころの話じゃないや。

ずっと怒りを変に特別扱いすることで、これは良くない状態だから、良い状態に持っていかなくてはならんし、持っていけないのは、何かが足りないからだろうと考えはもうおしまい。

恐怖と捉えていたものを、感情のひとつと理解しても、それを自分のものにするのには時間がかかる。
何度も繰り返し、思い出し、自分に言い続けよう。

みんな何かを喜んでいる。
みんな何かを怒っている
みんな何かを哀しんでいる。
みんな何かを楽しんでいる。

それぞれの日常の喜怒哀楽。
裏も表もなく感じるまま。

日々は一瞬の連続だ。
どこかの一瞬を変えることから始めればいい。

先生とМさんと私の無意識と見知らぬ親子がくれたヒント。
すべてにつながりを感じた出来事だった。
【こころの話の最新記事】
posted by 静 at 22:14| Comment(0) | こころの話
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: