2016年02月24日

ひとりだけど独りではない(カウンセラートレーニングの会)

私は物事を決断することが苦手だ。
決断が恐ろしいのである。
なのでギリギリまでグズグズしている。
そして実は、できることならば自分で決めずに誰かに全てを決めてもらいそのレールに乗っかり何も考えずに生きていきたい。
…と、私のある一部分では思っている。
あまり好ましくないなぁと自分的に感じている部分ではあるが、確かに存在する私だ。

だがしかし、別の部分もある。
何でも自分で決めて、自分のためだけに思った通りに生きていきたい。
道なき道をガンガン進んで面白がりたい。
と、思っている。
そういう自分が好きだ。
ただそうするには、自分自身がよく知り、考えなくてはならないので時間も労力もかかるし勇気も必要だ。
思わぬ反対にあうかもしれない。
自分に本当にできることなのだろうか。
…など不安もムクムクわいてくる。
なので、日々の大体はその両極端な自分の真ん中ぐらいで折り合いをつけていくわけだが、時にはどうしてもそれは嫌だと感じる出来事もある。
勇気を出して決断し、私はこう思うと伝えることが必要な場面もある。
その時、どんなふうに伝えることが大切なのだろうか。
そんなことを考える機会が最近あった。

ところで、なぜだか毎回出来事がリンクするトレーニングの会。
今月の共通するものは「嫌だ」を伝える。
「想い」を伝える。その伝え方だった。
それに伴い相手を思いやるとはどういうことか。そんなことも少々。
やり方も答えもそれぞれ違う。
でも、その場にいる全員が悩み、考え、互いがヒントになり、決断して喜びを見出したり、幸せになろうとしている。

ある人の話で、聴くことが苦しくなった。
自分の古く深い傷に触れたせいだった。(この話はまた別の機会に。)

ただともかく、話を聴かせてくれたこと、これまで話を聴いてくれたこと、この場にいてくれることに感謝したかった。
私は現状を変えていこうとするその人に「自分のことだけ、自分が幸せになることだけ考えてほしい」と思った。
今は時間も勇気も人のために使ってほしくないと。
私はいつもこの人を見るときに、私自身が様々な時代の自分で見ているなぁと感じる。
どの時代の私も彼女を尊敬の眼差しで見つめているのだ。
なぜなら、いつでも大事な場面で最善の行動を取ることのできる人だからだ。

それぞれ自分の荷は自分が背負っていくしかない。
どんな決断であっても、本人が選んだものは尊重されるものであるはずだ。
それはそこに至るまでの苦悩や勇気を思えば当然だ。
他人が簡単にあれこれ言えるはずはない。
その荷は簡単に預けてしまえるものではないのだ。

それでも甘えることと頼ることは違う。

私ができることはほとんどない。
けれど、幸せを願っている人間がいるということ、そしていつでも手助けしたいと考えていることをこれからもずっと言い続けたい。

今回のワークはそんな気持ちを伝え合うようなあたたかで優しいワークだった。
それぞれの宝物を思い浮かべた。
その時々でいろんな映像が浮かんだ。
誰もが真剣に想い、伝えようとしていたからだ。きっと。
その一つ一つを順番に聴き、受け取り、心に収めた。

またそれぞれが自分の課題に向き合う。
でも独りではない。
大丈夫。
posted by 静 at 19:08| Comment(0) | 修行中
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