2016年08月01日

思いつくままつらつらと(カウンセラートレーニングの会)


image.jpeg


8月になってしまった!

先月もなんだかとても疲れていた月だった。
しかしなんだ、もうずっとそういってる気がするなぁ。
けどそんな中、休んだり少し頑張ってみたりしている。
誰もがきっとそうして過ごしているのよね。
…と、思いながら7月のカウンセラートレーニングの会へ参加した。
はたして皆んな疲れていた。
生きて会えて良かったと誰ともなく言いだすくらいの疲労困憊集団だったよ。

私もここぞとばかりに「疲れた」連発しつつ近況報告。
それでも内容は嫌な事ばかりではない不思議。
疲れていても楽しいことはあるし、楽しくたって疲れる。
誰でも何かしら大変で、何かしらの喜びがある。

今回気づいたことがあった。
トレーニングの会でのシェアは、人の気をひくためや自分が優位に立つためのものがない。
話し手は出来事をそのままに話し、感情あるいは感覚をそのままに伝える。
聴き手もまずはそのままに受け取る。
それだけ。
でもそれができない場の何と多いことか。
だからあの場は心地いいんだ。

「あなたのためよ」とかいう優しさぶった支配欲。
「自分はこんなにも苦しい」と不幸を盾にした支配欲。
その後に続く言葉は「ダカラ、ワタシノイウコトヲキイテヨ」なんだよな。
もうそんなのはやるのもやられるのもウンザリだ。

あとね、自分は幸せを語りながら人様の幸せを良かったと思えない状態は「自分見つめ」をするチャンスタイムなんじゃなかろうかホントは。などと思う今日この頃。
posted by 静 at 20:54| Comment(0) | 修行中

2016年06月30日

6月のトレーニングの会

トレーニングの会。

先月お休みしたので、2ヶ月分の報告やら思うことやらをなんとなく話す。

参加メンバーはそれぞれ怒涛の日々を過ごしていた。
が、迷うことはあっても皆その視線は前を見ていて、もうそれだけで私は励まされ嬉しくなる。

一瞬、アドバイス病を発症しかけた場面もあったが、思いとどまった。
アドバイス病になった人の言動は誰のためにも(自分を含め)ならんのだよなぁ。
シェアの場ではあっても、人の話を遮ったり好き勝手に発言する場とは違うので聴きながら自分の心の中のザワつきを感じ、考えることができるのが助かる。
その病は、元々の私のパターンでもあるけれど、不安や疲れが原因で誘発されるんだなぁと話を聴きながら気づく。
まずは自分を休ませないと。

今回、昔話をする機会があった。
悲しみや怒りや恨みが満載の時期の話。
はりきって(笑)話を始めたのに、すぐに不思議な感覚を味わう。
大変だった。辛かった。そう話しながらもそれが変な感じに思えた。
その出来事が私の全ててはないと知っている今はその頃の気持ちをそのまま話すことが難しく感じたということなんだろうか。
わからん。
話してるうちにどんどん訳がわからなくなった。
と、密かに混乱。
でもまぁ、その頃の感情にどっぷりと浸かっていたら決して気づかないだろう感覚。

子ども時代に自分の周りにいた大人たちを私はあまり好きではない。
それは今でもそう変わりはないが、それでも今の私はその頃の人たちのそれぞれの事情に意識をむけることもできるし、その人たちに振り回されてもいない。
「もういいよ。」という声が頭に浮かんだ。

今、昔の自分に会えるとしたら、どうにかなるからあんまり苦しむなと言ってあげたい。

絶対と思っていた事柄も変わっていく。
それでいいんだと思う。

今は幸せ?と、問いかければ状況がどうであれ私の心の答えはYesとなる。
posted by 静 at 19:57| Comment(0) | 修行中

2016年05月12日

いろいろ確認中

教育分析へ行く。

先日の受講した講座の感想やら、日々の中での驚いたり悲しかったりしたことやら、不安やら、そうかと思えば笑える話やら…。
もう思いつくままに話していく。
ドキドキしながらひとつだけ駒を進めた感じの今の私だが、そのちょっとの動きの中からも様々な出会いや発見があるもんだなぁと感じている。
それがこれからどんなストーリーへと繋がるのか、というか、それでどんな私になっていくのか。

なんにせよ自分のためにやっていくのだ。
私が学んだり、自分と向き合って気づいたことが誰かの役に立つことがあれば嬉しいが、頼まれてもいない誰かのために行動するということが目的になってはあかんと思っている。
どんなに素敵な発見や気づきであったとしても、それはあくまで私にとって「そうだった」だけなのだから。
誰でも自分のペースで自分の望むことをやっていきたいのだ。
posted by 静 at 22:00| Comment(0) | 修行中

2016年04月28日

日常(カウンセラートレーニングの会)

トレーニングの会。

お久しぶりのSちゃんがいらしていた。
会えて嬉しい。
その上素敵なプレゼントまでいただいてしまった。
ワー!と喜んでいたらNさんからもプレゼント。
今月が誕生月のAちゃんと二人でキャーキャー言いながら包みをひらく。
私やAちゃんを思い浮かべ選んでくれただろうことが伝わってくる。
あー本当に嬉しい。ありがとう。

今回のシェアリングの時間、やはり内容の濃いものだった。
それぞれが何かを乗り越えようとしている。
新しい方法を探してみたり、初心に戻ってみたりといろんな角度から。

発見があったり、思い出したり、納得したりと勉強になった。

私はある場所での自分のとった行動とその後の心の動きについて話をした。
自分自身はどちらかといえば課題のほうに目がいってしまっていたが、先生からとても嬉しいシェアをもらった。
私のとった行動は「すごいけど、その積み重ねを思えば当たり前なんだ。」と。

日々の一瞬一瞬は奇跡みたいな時間ではあるけれど、日常は地味で、単調なことの連続なんだと思う。
が、それを積み重ねていくことはとても難しく感じる時がある。
派手でわかりやすいものの方が目を引くしね。達成感とかも得られやすい。
でも、積み重ねによってでしか手に入れられない宝物がある。
それは決して揺るがない、奪われないもの。

刺激的な出来事だけを求め続ける人にとって日常はつまらない、何の面白味もないものと思えるだろうが、私は日常をなんとか攻略していきたい。
先生や仲間から知恵と勇気をもらいながらトレジャーハンターの気分で日常をバタバタと進んでいこうと思っている。



そういえば、先週体調が悪くてゴロゴロしながら動画をみたり、サイトをあちこち見て回ったりしていた時に、すごいアーティストさん達に遭遇した。
ゆるくてふざけてるようなんだけど、たぶんそう見えるようにすごい時間や労力を費やしている。
すごい!って思ってSNSにシェアしたらMさんが反応してくれた。
ある対象にどんな感じを受けるかなんかは人それぞれだし、全く同じに感じることは無理だとはわかっているけれど、反応ポイントが自分に近いとやっぱり嬉しくて、幸せだ。
これ面白い。好き。って差し出した物自体をちゃんと見てくれていることが本当に嬉しい。

調子に乗って、トレーニングの会の終わりにみんなでピザを食べつつ、の時間、みんなにも半ば無理やり動画を見せた。
見てもらい大満足した私だった。
posted by 静 at 22:07| Comment(0) | 修行中

2016年03月23日

根っこの話(カウンセラートレーニングの会)

トレーニングの会へ行く。
調子が悪いぞと思いつつ。
プレゼントと優しい言葉が私を待っていてくれた。
嬉しい。
幾つになっても生まれたこと、自分がここにいることをわかってもらえるってのは嬉しい。
今年の3月も良い月だった。

シェアリングの時間では、どんな状況の中でも、どれだけ自分の気の済むような選択をすることができるか、とか、心の声をまず自身が聴こうよとか、そんな話しをした。
で、気づけてよかったと思う話だけで終わりますと言ったら、それだけでいいの?と。
結局、嫌だなぁと感じた出来事も聴いてもらう。
仲間たちからシェアをもらい、前半の話と後半の話も根っこは同じだね。ん?同じなのか??
やっぱ同じか!!!
…みたいな心の動きもあったりして、やはりこういうことは一人ではできないことなので、ありがたいなぁと今回も思う。


今回のワークは自分のネガティブな想いをそのままに語り、そのエネルギーを聴き手に半分渡すというもの。

ワークをやり、やはりそうだった。
と、思う。
私は自分の育った境遇を嘆き、苦しみ、悲しんではいるが、そのことが今まで自分を立たせ、支えていると思っている。
だからそれにまつわることはつらいものでも全て私であり、とても大切なものなのだ。
でもね。
私の周りにまとわりつくそのエネルギーは私の全てではない。
ま、私の一部だったとしても、それは自分が辛いなぁと感じているものだし、取り除いてもちゃんと立っていられる、むしろ手放したほうがいいということを私は知っている。
が、知るとわかるは違うものとだと何度となく見せられる。

「これがないと私じゃなくなる。」という頑なな思い込み。
でも、渡す。
手放しても大丈夫。
渡してもまた作り出すのだから。という先生の言葉。
そう、根っこは残ってるんだ。
良くも悪くも。
私が見つめ大事に想うのはその根っこだけでいい。
今までの自分の歴史。生きる為に知恵を絞り乗り切ってきた私。

さて、渡した後はどうなったか。
一瞬スッキリ。
その後カラッポ。
そしてダルダル。ボー。


会が終わった帰り道。
一人になって考えた。
空いたスペースにはどんな素敵なものを入れようか。
まずはいただいたプレゼントや言葉に込められたあたたかい想いを置き、そして源さんの歌を聴いた。
posted by 静 at 21:46| Comment(0) | 修行中

2016年03月10日

ただ聴くこと

毎月教育分析に行く。
カウンセラーが受けるカウンセリングである。
自分の考えた事柄をカウンセリングの場で言葉にすることで頭の中が整理され、そういうことかと納得したり、新たな発見があったり、次の課題が見えたり…と、自分自身のメンテナンスのために必要なとても大事な時間である。
話すこと、聴いてもらうこと。
それを繰り返すだけで今まで様々な変化がおきた。
本来の自分がずいぶんと顔をだしてきたと思う。
ま、出てきたのにまた隠れたりするのだけど。
進んだり戻ったりしながらいろんな私を少しずつ見つけている。

いつも思う。
自分が先生にしていただいているように、クライアントの未来を信じ続け、そっと寄り添うようなカウンセラーでありたい。
今回の教育分析では、そのために私がわかってなければいけないことを考える機会になった。

心の中には様々な私がいる。
大人の私はせっかちで仕切りたがりなので、普段小さな私は言葉を呑み込み何も言えない。
それでも、日常には小さい私の悲しみや怒りを発動させるスイッチはいくつも存在していて、そのスイッチに触れるたびに、大人の私がとまどうほどに毎回感情が揺さぶられてしまっていた。
スイッチを破壊することは不可能だし、大人の私はこう思う。「もう昔の話ですよ。」と。
だからそれを小さな自分に説明し、理解させようとしていた。
仕方のないことなのだよ。と。
でも、小さい私は「どうしてわかってくれないの?」と思っていた。
だからこそ感情が爆発して、毎回聴いてくれる相手を必死で探していたのだ。

先生は、話を聴き、同じ目線になり一緒に悲しんでくれた。
その時、そこにいたのは子どもの私と、子どもの先生だと感じられた。
二人で悲しみを悲しみのまま味わった。
そしてそれにより大人の私も、子どもの私に今必要なことは納得じゃなくて、悲しいつらいと言うことだったのかとわかった。
傷は深い。
本当に深いんだなぁと思い知った。

で、じゃあどうする?となる。
小さい私は思っている。
大人の私は話を聴いてくれないと。
けれど、できることは、聴くことだけ。
まずはとにかく私が自分自身の一番の聴き手になろう。
…聴くのはつらい時もあるだろうなぁ。
そう考えて、同じ目線になってくださった先生がどれだけすごいことをしてくれたのか実感した(遅い。申し訳ないです。)
スイッチが自分からテクテク歩いてきて、さあ押せ。これを押すんだ。ってことしてたもん。


私は未来を信じ寄り添っていけるカウンセラーでありたい。
だからまずは自分。
私が私を信じ、寄り添っていくんだ。
posted by 静 at 22:45| Comment(0) | 修行中

2016年02月24日

ひとりだけど独りではない(カウンセラートレーニングの会)

私は物事を決断することが苦手だ。
決断が恐ろしいのである。
なのでギリギリまでグズグズしている。
そして実は、できることならば自分で決めずに誰かに全てを決めてもらいそのレールに乗っかり何も考えずに生きていきたい。
…と、私のある一部分では思っている。
あまり好ましくないなぁと自分的に感じている部分ではあるが、確かに存在する私だ。

だがしかし、別の部分もある。
何でも自分で決めて、自分のためだけに思った通りに生きていきたい。
道なき道をガンガン進んで面白がりたい。
と、思っている。
そういう自分が好きだ。
ただそうするには、自分自身がよく知り、考えなくてはならないので時間も労力もかかるし勇気も必要だ。
思わぬ反対にあうかもしれない。
自分に本当にできることなのだろうか。
…など不安もムクムクわいてくる。
なので、日々の大体はその両極端な自分の真ん中ぐらいで折り合いをつけていくわけだが、時にはどうしてもそれは嫌だと感じる出来事もある。
勇気を出して決断し、私はこう思うと伝えることが必要な場面もある。
その時、どんなふうに伝えることが大切なのだろうか。
そんなことを考える機会が最近あった。

ところで、なぜだか毎回出来事がリンクするトレーニングの会。
今月の共通するものは「嫌だ」を伝える。
「想い」を伝える。その伝え方だった。
それに伴い相手を思いやるとはどういうことか。そんなことも少々。
やり方も答えもそれぞれ違う。
でも、その場にいる全員が悩み、考え、互いがヒントになり、決断して喜びを見出したり、幸せになろうとしている。

ある人の話で、聴くことが苦しくなった。
自分の古く深い傷に触れたせいだった。(この話はまた別の機会に。)

ただともかく、話を聴かせてくれたこと、これまで話を聴いてくれたこと、この場にいてくれることに感謝したかった。
私は現状を変えていこうとするその人に「自分のことだけ、自分が幸せになることだけ考えてほしい」と思った。
今は時間も勇気も人のために使ってほしくないと。
私はいつもこの人を見るときに、私自身が様々な時代の自分で見ているなぁと感じる。
どの時代の私も彼女を尊敬の眼差しで見つめているのだ。
なぜなら、いつでも大事な場面で最善の行動を取ることのできる人だからだ。

それぞれ自分の荷は自分が背負っていくしかない。
どんな決断であっても、本人が選んだものは尊重されるものであるはずだ。
それはそこに至るまでの苦悩や勇気を思えば当然だ。
他人が簡単にあれこれ言えるはずはない。
その荷は簡単に預けてしまえるものではないのだ。

それでも甘えることと頼ることは違う。

私ができることはほとんどない。
けれど、幸せを願っている人間がいるということ、そしていつでも手助けしたいと考えていることをこれからもずっと言い続けたい。

今回のワークはそんな気持ちを伝え合うようなあたたかで優しいワークだった。
それぞれの宝物を思い浮かべた。
その時々でいろんな映像が浮かんだ。
誰もが真剣に想い、伝えようとしていたからだ。きっと。
その一つ一つを順番に聴き、受け取り、心に収めた。

またそれぞれが自分の課題に向き合う。
でも独りではない。
大丈夫。
posted by 静 at 19:08| Comment(0) | 修行中