2016年01月28日

ありのままのわたし(カウンセラートレーニングの会)

1月がもうすぐ終わるってことにびっくりしてしまう。

冬はどうもドンヨリと元気がなくなる私なのだが、教育分析とトレーニングの会には行こうと思う。
向かうまでがツラくても行けば必ず何かヒントをもらえるからだ。

昨年末から精神的に疲れた状態が続いていた。
ものごとを客観的に見づらくなっていて、そんな自分の心と向き合うこともイヤで他人のことばかりついつい気になってしまっていた。
何も考えたくない。
そんな感じで1月のトレーニングの会は参加した。
近況報告でもそう話した。
でも、自分にきちんと向き合っていますよ。というシェアをМさんからもらった。
イライラしたり、悲しかったり、情けないぁと感じた出来事が多かった1か月だったが、そうか、向き合えているのかと気づく。

今月のワークは癒しのワーク。
けれど、私は先生から説明を聞く時点で「できるかなぁ」「怖いなぁ」と思いドキドキする。
さらに自分だけでドキドキしてるのが不安で、隣に座っていたNさんを巻き込んでしまった。
反省。
このドキドキはともかく、不安や怖さは正しい反応ではないなぁ。
怖くないってことを本当は知っているからなぁ。
だからワークが始まったらもう不安も怖さもなくなっていた。
もう「こわいっ!」って条件反射なんだろう。
まぁ仕方ない。徐々にね。
けど、人を巻き込むのはやめよう。うん。

私は今回のワークでクライアント役を2回やらせてもらった。
私にとってとてもありがたいことだった。
ワークの前に、私にはセラピスト役はできないと思った。
けれど、クライアント役でセラピーを受けていた時に私は「なんでもできる。」と言った。
セラピスト役をする時になって戸惑う私に、今回のパートナーだったAさんと先生が、私の言った「なんでもできる」を繰り返してくれた。
ありのままの私はなんでもできると言っている。
おかげで、変な緊張をしないですんだ。
大切なことを忘れないでいられた。
私が何かをするわけではないんだ。
クライアント役の仲間を見つめて寄り添うだけでいいんだ。と。

そういえば、一番初めのエンプティチェアの実習の時、私はクライアント役はヤダ!って思ったのを今思い出した。
それだけ、自分の内面を見ることを恐ろしく感じていたんだな。
でも、セラピスト役ならできるって考えてたのか?!って、今、その当時の自分につっこみたい。とても(笑)

セラピーの終わりにパワーストーンをひとつ選んだ。
私の名をつけ、この子を大切にすると約束した。
そのパワーストーンを先生がとても大切にしていたと後で知った。
先生はいつも惜しみない愛情をもって私たちを信じ、見守ってくれている。
このことに感謝して応えるために、これからもまずは私自身を慈しみ、そして自分のできることをやっていこうと思うのだ。
posted by 静 at 22:54| Comment(2) | 修行中

2015年11月25日

すべて意味のあること(カウンセラートレーニングの会)


11月のトレーニングの会

着いたら一番乗りだった。
ので、(…ということもないが)ある話を先生にする。
途中でAちゃんが到着。
もぉ聞いてよぉ〜的に話しを続けるとメッチャ共感してくれた。
ありがたいなぁ。

近況報告では、暗さの中に見えた明るさの話とか、物事の捉え方の歪みとか、自分が親から受け継いでいるものとかを話す。(こう書くとなんのことだかさっぱりわからんな。)

私はもう答えを急いで見つけようとは思ってないのかもなぁ。
そんなふうに今感じた。

仲間が、自分の話を聴いてくれて、それについての想いや考えを述べてくれることでの気づきはもちろん、他の人へのシェアからでさえ自分にとってのたくさんのヒントになる。
ひとりひとりが違うということは、たくさんの見方があるってことだ。
それを見聞きする機会があって、そこから何かを感じ取れない筈はないんだと思うからだ。


今回のワークは素敵なワーク。
以前やった時よりも素敵と思う度合いが自分の中でアップしてた。
おもしろい。

人はひとり。
でも、生きていく中でたくさんの人と関わり助けてもらっている。
そうしないと生きていけない。
それを体感するワーク。
今回の私はお助け隊の一人。

ワークをやって思った。
人の役に立つ事は嬉しいことだ。
誰かの助けになりたい。
それが好きな人、大切な人だったら余計にそう思う。
でも、私は自分で自分を支えることすら難しいと感じることがある。
そんな時は助けてもらおう。
立ち上がって進んでいくためにきちんと頼ろう。


「心」という器に「愛情」という水を注いでも、その器にヒビが入っていてはいつまでたっても満たされることはない。
ヒビがあることが不幸ということではない。
ヒビは直せばいいのだから。
直す方法もたくさんあるはず。
ただ、その器のヒビを直せるのは自分以外にいない。
それをしないでいることは幸福を遠ざけているように感じる。

水が器のヒビからどんどん漏れているのに、直さずに注ぎ続けることを求めたり、人の素敵な器を欲しがってばかりでは決して望む幸せは得られないだろう。

心には替えがない。

私の器はヒビだらけだ。
けれど、直したヒビのひとつひとつを愛おしく思う。
たくさん直してもまだ時折漏れるけど。
ま、ひとつひとつ取り組んでいくしかないのだ。

(……器とヒビがゲシュタルト崩壊した。(笑)


トレーニングの会が終わった帰り道、月がきれいだった。
みんなで月を見上げ笑いながら歩いていた。
Aちゃんが、あー幸せだと呟いた。
そうだね。幸せだ。と、私も思った。
posted by 静 at 22:47| Comment(0) | 修行中

2015年10月31日

どちらでもいい。必要だから選んでいるのだ。(カウンセラーズトレーニングの会)

忙しいとか、思考停止とか、現実逃避とか、言い方は様々あるが、まぁ自分とがっつり向き合えないなぁと感じる時がある。
それで、雑務に追われたり、または何もしなかったり、遊んだりして過ごすわけだが、そういう時に自責の念がムクムクと湧いてくるのが昔からの私のパターン。
少しのことで疲れる。
何もしなくても疲れる。
気分転換にもあまりならない。
そういった日々の中でも、幸せとか喜びはあるのだけど、そちらには目がいかない。

近頃は、そんな時は「あー、そうなのねぇ…」と思っている。
自責さんが、消滅したわけではないので、「なにをしてるんだ。」という気持ちもほんのり残ってはいるが、あまり気にしない。(ようにしている。)

長々ダラダラ書いているが、ここのところ停止とか逃避モードになっている私である。

客観的に見れば、嬉しいことや幸せなことが結構あった。
まぁ、嫌なことも面倒なこともそれなりにあったが。
ともかく、バランスよく(?)盛りだくさんな日々なのだ。
が、様々な場面において、陽より陰、明より暗、プラスよりマイナス……。てな感じで選び取ってるなぁ、
なんか知らんが、そっちにいたいんだなぁと感じていた。

なので、先日のトレーニングの会でも、
「暗いです。ダークサイドにおりまする。
昔のことを思い出し、怒ったり、嘆いたりしてるのでする。
それには理由があるのだろう、どんな理由かは知らんけど。」と、いうようなことを話しつつ、少々の自虐要素を含ませて、夜な夜な恐ろしいゲームをPCでやっていると話した。

仲間は皆、優秀なカウンセラーなので、そのまんま受け止めてくれる。

ある人が、いろいろ思い出すのはそれを考えられるようになったからではとシェアしてくれた。
そして、私の中の自責さんが一番何をしてるんだと思ってる恐ろしいゲームについて、これをまさにカタルシスみたいに言ってくれた。
「おおーっ!」目からウロコぼろぼろ。
心の中の様子を、ゲームという形で自分の目で見てんのか…。
がっつり向き合ってるじゃんか。
それはマイナスでありプラスである。
そんな状態なのか。
仲間にそのまんま受け止めてもらった嬉しさと共に、この時、自責さんにも許された気がした。
意識上で自分に「ゲームよしっ!」と許可できた。

それと、自分の中の無意識や直感が一番私をわかっていて、私を好いてくれているんだなぁと思った。
なんだか嬉しかった。
posted by 静 at 22:47| Comment(0) | 修行中

2015年10月01日

私のための私なりの今の答え(カウンセラーズトレーニングの会)

9月の終わり。
トレーニングの会へ。
体が重い。
クラクラする。
つらいなぁと思いながら向う。
そうしたら、みんなそうだった。
同じなんだと安心する。

皆がこの1カ月の出来事をそれぞれ話す中で、先生のある方へのシェアに、ハッとした。
心に響いた。
先生のお話しを聴きながら、いろんな想いがこみ上げる。

昔から私は、何か挑戦する時、結果よりもその過程が大事なんだと思って過ごしてきた。
なので…。
結果に後悔しないよう、そこへ向かうまでを大事に。
自分が出来る時に出来ることを精一杯。
てなことを、子どもの試験前とかにもよく言っていた。
これはこれでアリだとは思うが、私の中で、【結果<過程】って、図式があるということは、結果を軽く見ているのもしれない。

一つの目標に向かって頑張った!
なんか結果出た!!
じゃ、次行くかー!!!
って、イメージが浮かんだ。

その浮かんだイメージに対し今の私は、
…なんだか疲れる、それって。
と、感じたのだった。

(あ、上手くいかなかった時のために、「結果なんて…」って、思ってんのか??
だとしたら、「結果」超気にしてるわ。きっと傷つきたくないんだな。)

…て、話しをトレーニングの会での場面に戻すと…。

その疲れるイメージが浮かんだ時、積み重ねた一つ一つが宝物のようなものと知ってるはずなのに、私はその宝物をどこに置いていたのだろうか…。と思った。

先生はそこを「蔵」と仰った。
そして「お米」というキーワードも出た。

自分と向き合い、一つ一つ考え、少しずつ気づくこと。
ある時は目標達成出来ずとも、行動したことでなにかしら必ずある成し遂げたこと。
そんな「積み重ね」という宝物が「お米」だろうか。

田畑ばかりに気をとられないで。
新米だけが米ではない。
蔵にも目を向けてほしい。
…というようなことを先生は仰った。

自分と向き合うこと。少しずつ気づくこと。
その努力は、作物を育てるため、田畑の土を整えたりいろんな準備をするかのようだ。
そして何かを収穫し、新しい蔵が増えていく。
結果が蔵だと考えれば、蔵はまさに自分の歴史そのものだ。
蔵が並ぶ様子を眺めた時、それまでの自分の歩みを想うだろう。
蔵の中身の出来映えは様々である。
古いものも新しいものもあるが、どれも変わらず宝物であり続ける。
誰かに献上する為のものではなく、質を評価してもらう為のものでもない。

どんな過程もどんな結果も価値のある愛おしいものなんだなぁ。
そうは思えない事柄でも。
時間が経ってその価値に気づくことだってある。
大事にしよう。
忘れないようにしよう。
そして増えていく蔵に、自分の歴史に誇りを持とう。
どれも自分を支え、助ける。
そして誰かの役に立つことがあるかもしれないのだから。

ほかの方へのシェアだったが、聴いていて私自身が腑におちることができた。
考える機会を与えられたシェアリングの時間。
先生、みんな、本当にありがとう。

あ、そうだった。
今月も孤独な小さいひとが私の心に登場して、おいおいまたかよという瞬間もあった。
…いつまでも保留にしとくわけにもいかんのだろうなぁ。
と言いつつ、まだ保留。

今回のワークはある方の提案から、それぞれ言われて嫌だと思った誰かとのやり取りをその時とは違うどんな方法があったのか、自分はどうしたいのかを仲間の再現にヒントをもらいながら考えるもの。
こ、これはゲシュタルトだ…と、ワークの時間がだいぶ経ってから気づく。(遅い)

そして、ワークの中でのやり取りを見て、怖い…と怯えた瞬間があった。
心理を学んでる時に同じように怖いと思ったことが頭に浮かんだ。
でもその事に関しては今は置いとく。(また保留かい。)

私のワークのお題に対しての仲間の対応は見事としか言いようがなかった。
素晴らしかった。
ありがたかった。
それぞれの感じ方、どんな言葉で、どんな態度で対処していくかを見せてもらいながら、自分の心の動きはもっともなんだと理解したり、頭のガチガチ加減があらためてバッチリあらわれヒョ〜となる。(謎)

それにしても、どんなパターンになっても、みんな迫真の演技だった。
上手すぎる。
感心して見てしまった。
私ももっと技を磨かないといけないなぁと一瞬考えたけど、いやいやオイラ女優じゃないし。
まあいいや。と考え直す。

今回もワークが終わった後に食べるピザは美味しかった。

それにしてももう10月とは…。
まぁ、焦らず楽しくやっていこう。
posted by 静 at 09:37| Comment(0) | 修行中

2015年08月26日

マジな人たちとの楽しツライ日々(カウンセラーズトレーニングの会)


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何かつらい時や上手くいかない時、自分の思考や言動が原因でその結果なのだ。という思い込みが私の心にある。

現実には自分の言動や願いや努力とは全く無関係に受け入れ難い事も起きる。
そういった場合、自分がどうこうという問題ではない。

出来事に関して、自分がコントロールできるはずと思い続けることは自分自身を消耗させるが、あまり成果を得られない。
が、起きたことに対して、自分がどういった視点を向けるか、どの部分を取るか、何ができるか、あるいはできないかは自分の望むものを選ぶことができる。
意識的であろうと、無意識であろうと。

自分が選択しているのは、出来事ではなく、出来事の受け止め方だということ。
それは同じことのようで違うもの。
そこの部分が混乱してしまうと、とても苦しい。
出来事ばかりに目がいき、無意識に選択する受け止め方が、自分を傷つけ不幸にするものだとすれば、尚のこと見つめる部分は原因と結果の関係追求より、その選択パターン。

なぜ自分はそれを選ぶのか?
どんな結末の脚本を持っているのか?
本当はどうしたいんだろう?
理屈や一般論や世間体はいいから今の自分の心に聴きあてはめる。

そんなことを考えつつ、あーもう1か月。
今月のカウンセラーズトレーニングの会の日。

シェアリングの時間は話したいことをそのままに話すことができる時間。
しかし、今回はだいたいの時間を決めて話した。
短い時間で何を一番伝えたいか考える。
自分の中での優先順位が見えてくる。
私が一番初に伝えたいことは、今月は楽しかった!ということだった。
楽しいを一番に伝えたいってのが嬉しい。
その後に、自分と向き合うということの気づきとこれからの課題と考えている冒頭の話をしたのだった。
様々な場面でこれからどれだけ希望や喜びを選択できるだろうか。
ワクワクドキドキだ。

いつもより短い時間でも、仲間の誰もが本気で(ここはマジでと読みたい私(笑)生きてると感じたシェアリングの時間だった。

先生がおっしゃっていた。
人はもともと、それぞれギフトを持っている。
自分のそれを知っていることは実に幸福なことなのだとわかった。


そして今回のワーク。
背中を向けている相手に「おーい」と呼びかける。
呼びかけられた相手はその声がどんな風に届いたのか表現し、自分のハートに届いたと感じたら振り返りそばへ行く。
それだけ。
それだけなのに、自分のパターンが見えたり、心の中の小さな人が現れたりした。
何だこのワーク、すげぇ…(感想)。…語彙の乏しさが哀しい。

それはともかく…。

呼びかけた。
「おーい」
届け届け。
大好きだよ。
相手を想う。
そんな気持ちで呼びかけた。
届いた。伝わった。
受け止めてもらえた。
嬉しい。

交代して呼びかけてもらう。
「おーい」
「おーい」

いつも私はボヤーーっとしている。
その状態を再現していたために、声は聞こえるが始めは「呼んでるなぁ」という感覚。
けど、その声は私に向けてくれてると実感できた時の嬉しさ。
私が「私」というだけで呼びかけてくれるその声は、なんと暖かく感じるのだろう。

幸せとはこういうものなんだと思った。

ある人の時、呼びかけの状況を先生が変えた。
ワークしている仲間の勇気を見た。
ワークが終わってから諦めそうになったと話してくれたが、諦めなかったその勇気。

その様子を見ていた時、心がザワザワした。
私の中の諦めきった孤独な人を感じた。
私の心の大部分は感動し、励まされていたのに、その孤独な人の心の部分は重いままでワークを冷めた眼差しでジッと見ていた。

勇気をもらった。
受け入れられることの喜びを見ることで私も癒されていった。
…はずなんだが、その感情は、私のそうあって欲しいという願いなんだと家に帰ってから気づいた。
また未消化な部分。
今はこの感覚を大事にする。

あと、今回のワークをカウンセラーとしての視点で話す機会をもらったのだが、あまりうまくいかなかったと感じたので、それもじっくり考えてみよう。
posted by 静 at 23:28| Comment(0) | 修行中

2015年08月04日

見えないものを見つめる(カウンセラートレーニングの会)

7月のトレーニングの会でのワークは「電話カウンセリング」
背中合わせで相手が見えない状態でのロールプレイ。
対面のように表情や仕草が見られないことでどうなるのかを知る。

カウンセラー役をやらせてもらったが、対面とは違うこと、あるいは同じこと、その中で自分のできたこと、できなかったことをなど勉強させてもらった。
初めて先生と電話カウンセリングのロールプレイをしたときのことを思い出した。
全くできなかったなぁと。

今回は仲間に見てもらいつつのロールプレイ。
それでも話を聴くことに集中できた。
クライアント役の方は自分のありのままを聴かせてくださった。
ありがとうございました。

いつものようにギュウギュウのいっぱいいっぱいの一日。
そういえば、会が終わってお疲れ様となった時に、しばらく海外へ行く方への「いってらっしゃい」が、ちょっとそこまで的な「じゃ。」「おう。」みたいな感じになってしまったが、かえってまたすぐ会えるって思えてよかった。
またお話を聴かせてもらえることを今から楽しみにしている。
posted by 静 at 16:42| Comment(0) | 修行中

2015年08月03日

それでも進んではいるのです。(カウンセラートレーニングの会)

暑いです。猫もダレています。

@bayochanが投稿した写真 -




7月の終わり、カウンセラートレーニングの会に向かう道、暑くて息をするのも苦しいなぁと歩いていたら、横からヒョイと覗き込んできた可愛らしい笑顔。
「あーー!Aちゃん!」と言いながら、自分の顔を上げる動作から俯いて歩いていたことに気づきつつも笑顔を返す。笑ってご挨拶。
1か月は早い。早いけどその間にいろんな事があった。
また会えて嬉しい。
そう思いながら、なぜか猫から受けた傷の話をする私。
傷自慢。(笑)
いいのだ。この話をAちゃんにとてもしたかったのだ。
調子に乗って自慢していたら、後ろでそれを面白がって聞いているMさんがいた。(笑)
Mさんとは数日ぶりの再会。
サロンに久しぶりに伺うことができ癒されたばかり。
すぐに会えることがこれまた嬉しい。


今、自分の心の中でおきていることをわかりやすく話したいなぁと思ってはいるのだが難しい。
会話でも、文章でも。
あちこちへ話が飛び、とっ散らかった印象になる。(…と、自分は感じている。)
けど、浮かんでくる想いはその浮かぶままで良いか…と、このブログを書きながら思う。(言い訳?(笑)


いつかの教育分析の時に先生から、私の話が誰の状況を語っているのかわからなくなる時があると言われハッとしたことを思い出す。
その思考は自分のものなのか、妄想により生みだされた、境界線の曖昧な誰かの考えモドキなのか。

私は他者の思考に意識が行き過ぎて自分の本心を見失う傾向が強い。
自分の課題に取り組んでいるつもりだったのに、実は人のものだったとか。

共感する部分はそのままに一つ一つ丁寧に確認していく作業中。

今回のトレーニングの会でも、投影の嵐。
もう凄まじいまでの。
けど、投影って気づいていることって大事だ。
自分のある部分が鏡のように映しだされている感じ。
モヤモヤしてわからなかったものが目の前にある。

自分の見たくないものは、自分を痛めつけるためにあるのではない。
ただ知ってほしいだけ。
知ってほしいのは、痛めつけたいわけではない。
助けたいからなんだ。
本当は一番の味方。
そんな言葉が頭に浮かんだ。

いろんな人がいる。
様々な価値観がある。
そんな中で、自分自身を守り、大事にできる場所があること、それをわかってくれる人がいることは宝物をもっているのと同じこと。

この世の全てを自分の思い通りに、自分のためだけの宝物にすることはできない。
今、持っているものですら奇跡のようなのだから。
それを大切にしたい。


Мさんのサロンに伺ったとき、あるやりとりから自分自身に対して持っているマイナスのイメージが現れた。
トレーニングの会でのシェアリングの時にいろいろ話した中にその話も少しした。

自分のある部分はマイナスだ切り捨てたいと考えるだけでも痛手だろうに、これに生い立ちだの自分ではどうにもできないものまでマイナスの根拠だとくっつけて、さらに痛めつけていた私に気づいた。
そうやって自分を傷めつけつつ、実現不可能な理想を実は他者に押し付けようとしていたことも。

どういうことかというと…
「信頼する人には100%、全ての私を見せるものだ。」
こういう思い込みが私にあった。
これ、信頼しているから全部背負ってくれって言っている。
そして、だからあなたも全部見せてとも言ってるなぁ。
重すぎる。怖すぎる。

様々な要素やタイミングやらが重なり(てか、当然だよ。無理だよ)この思い込みを実現できたことはない。(…はず。)
ええ、本当に実現できてなくて幸いですだよ。
で、見せるも背負わせるも(見るも背負うも)できない私は「だから私は人を信じることができない。」というぶっ飛んだ理屈を長い間信じていた。

近年、オイラってば信頼しているよ。間違いなく信じているよ。という場面が増えた。
こんなに信じているのに、人を信じられない自分がいるってなんじゃいったい…と混乱していたが、このたび謎が解けた次第。
これも仲間のおかげである。

と、この話もトレーニングの会でしたかったのだが、現在進行形で聴いてほしいことがあり過ぎで話せなかった。
ので、覚え書き。

自分の気持ちをそのまんま話せる場所に、聞いてくれる人たちに今回も感謝。
そして、会のワークの話までまたたどり着けないのであった。
posted by 静 at 22:34| Comment(0) | 修行中