2015年07月05日

ただ寄り添うこと(カウンセラートレーニングの会)

6月のトレーニングの会の話もう少し。

今回のワークは基本のロールプレイ。
なのだけど、1組が行う様子を他のメンバーは見ているという形式。

とてもとても勉強になった。
ロールプレイをしてくれたお二方が上手なのだ。
カウンセラー役の方の寄り添い聴く姿が感動的だった。
この方はいつでもそうで私はその様子を見るたびに「すげーー」と思うのだが、さらにパワーアップしていた。
クライアント役の方も自分の大事な話をしていて、そのことで気づきが起こっている中で、カウンセラーとしての別の気づきもおきていて、その話を聴いた私は、会では何度もおこる目からウロコ状態にまたしてもなった。

クライアントが自分の心を見つめて何かを見つけたいと考えている時に、カウンセラーの態度がニュートラルでいるってとても大切なんだ。

あー本当にすごい人たちだ。
出会えてよかった。と、いつも思うことをまた思う。

その時々で必要なものを選び生かせるようになりたい。
そのためには一つ一つ違いを知っていくことなんだろう。
そんなことを考えている。
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2015年07月04日

覚え書き(カウンセラートレーニングの会)

6月のトレーニングの会。

私はある一つの話を聴いてもらいたかった。
それはあるやりとりに遭遇したことからだった。

話すことができてよかった。
話が聴けてよかった。

うまくまとめられなかったので、メモ書き丸写し2部構成で。


(ある日のメモ書き)

優しさとは?

あるやりとりをみた。
テーマは優しさ。
ん?ちょっとモヤモヤするぞ。
自分の言動を優しさと己が名づけてしまうのはどんなもんだろうか。
まずそう感じた。

これは私の優しさなの。と。
優しい気持ちからの行動なのと、自分で言うか?って。

でも、あの人は優しいとか、あなたは優しい人だとか、私もよく言う。
人に優しく。自分に優しく。
今までずっとそんな言葉を何気なく口にしてきた。
でも優しさって?
このモヤモヤってなんだろうか。

やりとりの中で、優しさとは、自分の価値観を押し付けているだけと言っている人に対して、感謝や評価を期待した時点で自分自身への優しさになるだけでは。と、応えているのをみながらさらにモヤモヤしだしてうーーーんと考えてしまった。
私の中でめちゃ引っかかったわけだ。

では、無私の心で相手のことだけを考えた言動が優しさということなんだろうか。

喜んでくれたら嬉しいなぁと考えたら相手への優しさではなくなるのか。

相手は何を望んでいるのだろう、と私が考えるものは、相手の本心と一致するかはわからない。
自分が必要でも他者もそうだとは限らないんだ。
そこを忘れてはいけないのではと思う。
その上で相手を想い考えることができればなぁと思う。

で、その時もし何か行動する、あるいは行動しないと決めることは、たとえそれが相手を想ってのことだとしても、結局自分がやりたいことだし、自分自身の価値観バリバリだよなぁと。
他者からの評価や感謝は関係ない。
自分の意思。
けれどそれは押し付けるものでもない。
願いみたいなものかなぁとぼんやり考えている。

結果的に相手が受け取ってくれ、しかもそれをなんらかのプラスのイメージとしてとらえてくれたら…。優しさとか思いやりとか。
そんなふうに感じてくれたとすれば、こんなに嬉しく幸せなことはないけれど、そうは思ってもらえなかったとしても仕方ない。
行動する自由があれば、受け取らない自由もある。

あと、もういちいちめんどくせぇなぁと我ながら思いつつも、優しさと宣言されてしまうと、それをいらないと拒否する側がきつい。
そんな気持ちも湧いてくる。
多分、受け取らない自由もあるといいつつ、私の中には、優しさ=受け取らなければいけないものという図式がある。
で、きっと、受け取りたくないぜ…と、感じたことも何度となくありながら、相手が気を悪くすることを恐れて相手の期待通りに受け取らなければ…とかやってた。
それこそ他者からの感謝や評価をもらい自分が喜びたいだけという優しさの押し売りだと感じたとしても。
もうあれだ。
一方的な感情なんだ。
優しさを装ったそんなものに対する嫌悪感。
「あなたのため。」というニュアンスからはどうも対等な関係を想像しづらい私である。

…で、何が言いたいんだっけ。
人の言動を見てそれはあなたの優しさだよねと言っている私だが、自分の言動を優しさとは言いたくない。そう私は思っている?
そういうこと言う人のそれも優しさじゃないし!って思ってる??
あーー、これもちょっと変かもなぁ。
もう少し考えてみよう。

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(トレーニングの会のあとのメモ書き)

優しさについてみんなの意見を聞かせてもらえた。
私は「優しさ」をほかの言葉に変えるとしたらなんだと思いますかとたずねた。
なんだか言葉にすごいこだわりをもっていたんなぁと今は思う。

そんな質問に先生や仲間は真剣に考えてくれて、私がその時点で思いついていた、思いやり、愛情、願い(願いは会では言わなかったけど、)に対して、自分が思いつきもしなかったものが出たことで、私が嫌悪感を抱くのは「優しさ」ではなく「易しさ、容易さ」なのではとハッとしたり、私のぼんやり思っていた「願い」は「真心」に繋がるものかもなぁと考えたり…。

あー、話してよかった。
という感謝の気持ちでいっぱいだ。

言葉にこだわってるって気づいてない私は、みんなの話を聴きながら、言葉を大切に使いたいと思っていた。
でも、どんな言葉を使おうと、自分が気づいているかは関係なく、自分の心が望んでいることはなんとなーーく伝わってしまうものなんだ結局ってだんだん考えだしていた。

仲間の意見を聞いていると、自分がいかに自分の心が置いてきぼりの思い込みに縛られているのか見えてくる。
自分の頭の中だけでこれが正しい!!これが正義だ!!と考えていても、様々な価値観に触れることで、そのこだわり自体が些細などうでもいいことのようにだんだんと感じてくる。
投げやりとかとはちょっと違う感覚。
なんでもいい自分ではなくて、いろいろあっても自分の中に「揺るぎない私」がいればいいんだって。

やはり一人で思考は限界がある。
実際に人と関わることが一番の学び。

で、私は自分を優しいっていうのはどうよ!?とモヤモヤしていたが、別に「これは私の優しさです。」っていってもいいか。と、ゆるーくなってみることにした。


人の考えに影響を受けることがあっても、それに振り回されない。
それは自分と他者との境界線を知っていること。

これからもたくさんの考え方をを知ることにより、様々な場面でも受容・共感する力を強くしていきたい。
そして、たくさんの考え方のなかでも「私」を持っているからこそ「違う」がわかる。
自己一致して物事を見つめていこう。


会の冒頭に先生が受容・共感・自己一致について話してくださったことが見事にリンクしていておもしろ怖いと思う私である。

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posted by 静 at 19:02| Comment(0) | 修行中

2015年05月28日

僕たちはいつか終わるから 踊る いま (カウンセラートレーニングの会)

人との交流って波風立てないことではない。
相手が大切な人であればあるほど。
自分の正直な今の気持ちを伝えるという選択をできる人でありたいなぁと考えた今月のトレーニングの会である。
会が始まる前に先生があるアサーションをしてくださった。
「私はこう思う」と気持ちを話してくださった。

ところで、私は怒りとそうでないものをごちゃまぜにして判断を時々間違う。
無意識に、ある決まったストーリーを今起きている出来事に当てはめ、私が思い込んでいる同じ結末へ向かうように行動する。

で、今回もそうなのだった。
けど、いつもと違うのはトレーニングの場だったこと。
先生や仲間たちがそっちは違うよと言ってくれる。
何度間違えてもそのたびに「こっちだよ」と教えてもらえること。
心理を学んでもその知識だけではうまくいかない。
もちろん学んだことにより私の中でも「違うよ」と私なりに声をあげることはできるようにはなっているのだ。
が、その声は小さく自信なさげで弱々しい。
簡単に無視できてしまう。
無視するほうが楽だし…。
そう、独りで立ち向かうのは無理なのだ。

軌道修正をしてもらった私は、相手を自分の思い通りにしようと怒鳴り声をあげている人と、大切なことを伝えるために真剣に語っている人を同じ枠の中で考えるなんて本当に失礼だ。
大切なことを「大切」と受け止め、自分の中で気づきがおこりまたひとつ積み重ね進んでいこうとしている人達を自分の思い込みのストーリーの中へ押し込もうと考えるなんて本当に失礼だ。
…そんなことを考えつつもやはり湧いてくる状況には合っていない気持ちを感じながらその場にいた。
私のその時の課題は、その感情を「それ違うよ」と確認しながら向き合うことだった。

それぞれが自分の想いを自分の立場で、自分自身が考えるとても大事な時間を過ごした。
先生がいてくれて、みんながいてくれてよかった。
嬉しいなぁ、幸せだなぁとまた思う。

今月のワークの話もしたいけれど、今日はここまで。

あ、今日のタイトルは星野源さんの「SUN」の歌詞です。

「今」を大事にしよう。本当に。
posted by 静 at 23:24| Comment(0) | 修行中

2015年01月30日

もういいわかった。いてもいい。てか、いてください。(カウンセラートレーニングの会)

つづきです。
また半分以上書いていたものを全部消してしまい、心が折れそうになりながら書き直してます。


自分はダメだなぁ…誰かのように頑張っていないし…。
そういった比較で自分を顧みるのは不毛というか建設的ではないなぁと思う。
…が。
しかしである。やっちまうのです。やらかすのです。
いまだに。
それってどうなのよ?って思っていたのですが、今回のトレーニングの会で大小あるものの皆それぞれが何らかの形で持っているテーマなんだと知った。

私の周りにいる人たちは毎日を、その時その時を丁寧に生きようという考えを持ち過ごしている人たちだ。
たくさんの表現する言葉も持ち合せていて話を聴いていると「そう!そうなの!それだ!」と思う。
私がモヤモヤして言葉にできないものを表してくれる。
トレーニングの会での一人一人の貴重な話を聴くことは私を励まし癒すことなのだが、今回は「どうして自分はできない。」という言葉で頭がいっぱいだった。
しかも、このマイナス思考を持っているのは自分だけという孤独感を引き連れての近況報告だった。

自分以外の人やものや出来事で自分の評価が変わってしまうという私のクセ。匠の技化している。
これはそうしなければ生きていけない状況にあったからだ。
長い時間をかけてこの技に磨きをかけてきたが、近ごろは私は私。あなたはあなた。これはこれ。それはそれ。だから楽しいんだ。という別の技を手に入れた。
今はそっちをどんどん磨いていきたいと考えている。
じゃ古い技はもう必要ないんじゃね?捨てちゃえば?と思うものの、いつまでも持っている。
緊急の時や重要な場面ほど昔からの技を使い、喜んだり、傷ついたり、傷ついたり、傷ついたり…。
そう傷つくことのほうが多いんだよバーロー。
だからもう嫌なんだよ。
でもいつまでもいるんだよバーロー。
と、やさぐれる私。

でも、そうやって傷つきやさぐれる私を見て傷つき悲しむ人たちがいることを忘れてはいけない。

今回、古い思考パターンは幼少の頃から一緒に少しずつ育ってきているもので、そんなに簡単には手放せないとあらためて実感した。
このままずっと手放せないのかもしれないとも思った。
けど、トレーニングの会翌日の先生のブログに、「ゼロになることはない場合もあるが個性に変容していくのだろう」という文章が書いてあり、それを読んでいろいろ納得したし、ホッとした。

ありのまんまに受け入れることについて、実は私はまだきちんと腑に落ちていなかった。

様々な出来事により受けた傷、痛み、悲しみですら、喜びや幸福感と同じように私という人間をつくる大事なパーツであるならば、そりゃ一つ一つが必要だったんだろうと。
経験は私らしさをつくっているんだ。
これからは「自分を苦しめてしまう」という要素を除いていけばいい。ゆっくりと。
そんなふうに考えている。
posted by 静 at 21:35| Comment(0) | 修行中

2015年01月29日

ちゃっかりモモレンジャーをめざす。(カウンセラートレーニングの会)

去年の気づきからのハイテンションはお正月を過ぎてから落ち着いてきて、そのまま下降線。
あー極端な人間だ。

じんわりと続く心配事。
じんわり系もずっと継続していると堪えるんだ。
気持ちばかり焦り、体がストップをかけているのを無視している状態でさらに下降。

そんな状態で今年最初のトレーニングの会。

ピンクを身に纏う人が二人。
二人ともよく似合っていて可愛いなぁと眺めていた。

今回がっくり弱りっぷりを披露してしまったのだが、そんな私に自分がつけていたピンクのストールをクルクルと巻いてくれた仲間。
周りから「かわいー」と声が聞こえる。
そうか?と思う私。「可愛いか?似合わんだろ?」と。
でも「かわいー」は止まない。
受けとれ受けとれ。
何度も投げられるプラスのストローク。
言葉のボール。
受けとれ受けとれ。
…はい。受けとるよ。そのままに。
嬉しい。ありがとう。
そしたら巻いてるストールを「これあげる。」とさらにプラスのストロークがくる。
ごちゃごちゃ考えずに受けとる。
嬉しい。ありがとう。

自分自身によるジャッジの嵐でクタクタで体中の痛みが続いていた中参加したトレーニングの会。
愛とか優しさとか思いやりとか信頼とか希望とか喜びとかがいっぱいの花吹雪の中にいるみたいな時間を過ごした。

いつの間にか体の痛みは消えていた。


つづきます。

posted by 静 at 20:15| Comment(0) | 修行中

2015年01月08日

あえてボヤボヤする日々。

お正月飾りも片づけてすっかり平常運転だ。
年明けからあっという間だ。
この月日の過ぎるスピードの加速度合いって年齢が上がるごとに増す。
ホントぼやぼやしてたら1月も8日でござる。
しかし、まぁ引き続きのんびりぼやぼや楽しくやっていこうと思う。
どうぞよろしくお願いします。


さて教育分析に行ってきた。

私の前の時間はAちゃんだった。
ご挨拶をして少しお話しすることができた。
12月のトレーニングの会で、みんな大変なのに周りを変に緊張させることもなく、楽しく過ごしていて本当にすごいなぁと話したらAちゃんと先生から「静代さんも大変だったでしょ(ニッコリ)」との返事。
その言葉にハッとする。
そうだおいらも大変だった。
「大変」が「楽しい」に勝ったのならとても嬉しい。
が、正直それだけではなくて昔のパターンの影が心をウロウロとしていたのも事実。
「大変」を「たいしたことない」と思い込むクセ。
楽しいが続くことを良しとしない思い込み。
昨年の心の大発見で、私の周りには今いろんな楽しいことがあふれていて「わーーい!」と変にテンションが高いのだが、それを「浮かれてんじゃないよ。」とたしなめるような態度の自分がいることに気づく。
あーなんかまだいろいろと不慣れな感じの自分が切ないような微笑ましいような…。
これもまぁのんびり付き合っていこう。

私の次の時間はМさんだった。
なんだか今回は会いたい人に挟まれてて嬉しかった。
Мさんともご挨拶して少し(結構たくさん)お話しできた。
話は前後するが、今回先生とは楽しいを何度も言いつつ、年末年始の出来事などを話した。
で「夫が忘れん坊で困ってるんスよ〜」的な話もしていた。

話は戻るが、Мさんとあるやりとりでどうしても思い出せない事があった。
結局Мさんの素晴らしい洞察力で思い出すことができたのだが、こりゃ私も相当な忘れん坊だわと密かにガックリした。
しかし、忘れん坊のガックリする気持ちや、こうやって接してもらえたら嬉しいんだなぁということを体感できた。
それを夫に同じようにできるか?といえば、まぁ別問題なのだが(笑)
選択肢がいくらでもあることを繰り返し何度でも気づくことができる瞬間に私はとても恵まれている。


と、ここまで書いていた記事が夫をからかったせいでさっき全部消えた。
夫が職場同僚の女性ととあるイベントに行くとウキウキ報告してきたので、「デートですか、いいですねー。」と言ったら、動揺して猫のエサをひっくり返し、それを片そうとしてさらにその付近においてあるものをバラバラ落としていたので、「動揺してるー」とゲラゲラ笑っていたら、パソコンの電源が落ちた。
…人をからかうのはよくないわね。反省。
書き直しです。はい。

あ、そういえば先生とМさんとである動画を探すも見つからないということがあり、家でもう一回探してみたけどやっぱり見つからなかった。
そういうことも何かしらの意思が働いているのかしら…とその時思ったけど、さっきの電源落ちで確信する私である。

本当に毎日いろいろあって面白い。
posted by 静 at 21:36| Comment(0) | 修行中

2014年12月25日

どんな景色を見て生きていきたいかということ(カウンセラートレーニングの会)

私は私が楽しい嬉しいと感じることを一番大切にしたいと思う。


今年最後のトレーニングの会。
それは想いを伝え合う日となった。
たくさんの感謝と愛をこめて一人一人に丁寧に想いを伝える。
たくさんの想いをもらう。
ありがとう。ありがとう。
泣いて笑って、また感謝。

なぜこの場ではこんなに自由でいられるのだろう。
どうしようもない悲しみや、寂しさや、空しさ、押しつぶされそうな苦しさ…。
それを懸命に伝えようとしてくれる。
つらいことをつらいまま抱えていても、楽しいもの、可笑しいことをそのまま味わい笑う。
そんな仲間がいるから。
正直でいようとするから。
心をオープンにしてそのままの自分を伝えようとしているから。
だからなんだと教えてもらった。

先生が共依存と相互依存の違いについて話してくださった。
キーワードは「思いやり」

人に頼るのは悪いことではない。
自立しているということは誰にも頼らないことではない。
だって人は一人では生きていけない。

同じ場所に留まり続けて変わることをお互いに許さないそんな交流には思いやりも正直さもなく、互いの不幸にどこか安心するような歪んだものだ。

私は長いこと歪んだ交流の中で生き続けた。
けれど、人はいつからでも望めば違う選択ができると学んだ。
私はこれからも自分のために自分にとっての最善な方法で学んでいこう。

自分の時間が大切なように、誰かの時間も同じように大切なんだと知っていても、きっといつも何かしら迷惑をかけてしまっているだろう。
それでも「ごめん。ありがとう。助かる。」と心の中で時には声に出し、自分の想いに正直に生きることでの成長や喜びは、キラッキラの光となって周りの人の気づきや幸せになり得るんだ。
そんな素敵な交流がある。
互いの幸福を願い成長を喜ぶ交流。

私は幸せだ。
posted by 静 at 20:20| Comment(0) | 修行中