2014年11月29日

守るとか守られるとかじゃなくて手を取り合って歩くと決めた(カウンセラートレーニングの会)

つづきになるのか微妙な感じのつづきかもです。

今回の会に初めて参加された方の話を聴いていた時に、この方は世界を信じている、自分を信じているって感想をもった。
とても羨ましかった。
なぜなら私は信じていない人だから。
表向きは信じているふうだけど、心の奥では信じていないから。
…と思うものの、あらためて振り返ってみれば、結構信じてないかい?信じてんじゃん?って行動をとっているんだな。
とくに最近は。
教育分析に行く。
トレーニングの会に参加する。
そういうことだって信じているからなんだよ。
ってことは、信じているのに信じていないと古い思考で思い込みを続けていたのかっていうと、そうではないのが今回のロールプレイのおかげでわかった。
相反する想いが同時に存在していると気づいた。
信じているけど信じていない。
私の心の中はとてもめんどくさい。
それだけ傷ついているということなんだろう。

何もかもプラス思考ですっきりしたかったなぁ。
けど、無駄な抵抗はもうやめた。
それは私には必要以上の無理を自分にさせることになるから。
だから、あきらめきった子どもの私の手を取り外へ飛び出しても、弱った時には何度でもグダグダになり、ついでに理不尽の多さに怒ったりもしよう。
そのあとに、くだらない能天気を倍の数集めて笑ってやろうと思うのだ。

ワークが終了してピザを食べてた時、私の取った一切れにニンニクが集中していたので、取っていいよってみんなの前に差し出したら、ニンニクって言ったのに、ソーセージ取る人とか、それに対して「えっ!?」っていう私を見て吹き出す人とか、吹き出した人をからかう人とか…。
そういうたわいないことが今の私の幸せであり元気の素なんだ。
posted by 静 at 17:41| Comment(4) | 修行中

2014年11月28日

固結びを解いていく作業(カウンセラートレーニングの会)

つづきです。
…が、まとまんないなぁー。

トレーニングの会でそれぞれの1か月の話を聴くことは、連続ドラマをを見ているようだと先生が仰った。
本当にそうだなぁと思う。
私の場合はここの所何度も同じテーマが出てきて、いつまでやってんだよって気がしていたが。
進んだと思ったのに、いつのまにか同じ場所に戻りコケてる。って。
…同じ場所ではないんだけどね。
それに、そこから毎回違った気づきはある。
けど、どうすりゃいいんだって状態。
そんなことを近況報告として話した。
しかし、それには理由があったってことが会が終わるころにわかるんだ。

で、今回のワーク。
新しい方がいらしている時は基本にかえりロールプレイ。
傾聴する。
私は聴いてもらう側になった。
近況報告の続きの話。
今、心の真ん中にドーーンと横たわっているどうにもならんものについて話していた。
そのどうにもならんものは幼い頃の出来事が大きくかかわっていることはわかってるので、話しはだんだんと子供時代のことになっていく。
先生とのカウンセリングや、たぶんこのトレーニングの会でも少しは話していた内容なはず。
だから自分の子供時代に向き合うことは、淡々ではないかもだがそれほど動揺することではなくなっていた。
…と、思っていた。
だけど、今回カウンセラー役となってくれたパートナーが、その幼い私を今の私はどうしてあげたいかと質問してくれた時に内心ギョッとした。
その時に初めて子供時代の私をまともに見たような気がしたから。
今までは向き合うといっても、姿が石になってたり、映像を見ているような感覚でいたことに気づいた。
…うん。こりゃ向き合ってなかったわ。
私にガチで向き合う準備ができてなかったということでもあるのかな。

初めてちゃんと姿を見せてくれたその小さな私は、すべてをあきらめていた。
大人になった今の私は、これからこの子を明るい光でいっぱいの外に連れ出そうと思う。
この世界は苦しくてつらいことだけじゃない。
くだらなくてバカみたいであったかくて愛しいものもあふれているって見せるために。
そんなものがたくさんあるから、苦しくつらいことも抱えていけるんだ。
そして何を話しても大丈夫なんだよって。何でも言っていいんだよって。
聴いてくれる人は実はたくさんいるんだって知ってもらうために。

何度も何度も同じテーマでグルグルしていたのはそのテーマがとても大切で、気づいてほしいと思っている私がいたということ。

ロールプレイのパートナーはただただ優しく寄り添ってくれた。
私の心にいる幼い私を見つめ続けてくれた。
私自身よりもずっと優しく。
だから私はあなたに話を聴いてもらいたかったんだなぁと思う。
ありがとう。

(つづくかも…)
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2014年11月27日

いろんな重なり(カウンセラートレーニングの会)

カウンセラートレーニングの会へ行く。
先月休んだのでドキドキがいつもより多め。
このドキドキって自分の自信のなさからきてる。
もうずっと低迷してるし、進歩のない日々だし…と、もう逃げたさが全開。
しかし。
自信ってなんじゃ!?
進歩してないだと…?
なんのためのトレーニングなんだよ。
と、思う(脅す?)自分に励まされての参加。
このおっかない…じゃなくて(笑)励ます自分を「黒幕」と呼んで邪険にしてた時期もあったが、黒幕さんの役割の大切さをひしひしと感じるこの頃。
わたしゃ、逃げたくないんだよ。やっぱり。
進みたいんだ。
休むと動くのバランスをとっていこう。
私なりに。
不器用なやり方でいいから。

…と、グルグル考えつつドアを開けたら、新しい方がいらしてみんなで楽しそうに話していた。
先月からいらしているのかなぁ…とボーっ思いながら椅子に座る。
そしたら、ほぼ「はじめまして」なんだとわかりびっくり。
楽しい人だなぁ、人と関わることが上手だなぁ…。
とっても羨ましくなる。
それに比べておいらは…と、マイナス思考へむかいそうな瞬間に先生が何気なく発したある言葉により目が覚める。
そっちは違うと引き戻される。ありがたいことです(笑)
そのおかげで、時間が進むにつれ「私、今日この方に会って話をするために来たのかも。」とか思う私。
きっとそうなんだ。
出会いは宝。人との関わりは宝だ。

近況報告では、ずっと一緒にトレーニングを続けている人達も「はじめまして」の部分がたくさん見られ、その姿が、日々の積み重ねがまぶしい。
毎度のことながら課題のヒントや元気をたくさんもらう。
この時点で大満足。
もうピザ食べて帰ってもいい気でいた。
がっ!
こんなもんではないことがこの後起こる。

(つづきます。)

posted by 静 at 17:15| Comment(0) | 修行中

2014年10月01日

幸せの思考

「信頼」について考える。
誰かを信頼する、信頼できるということではなく自分自身を信頼するということ。
自分を信頼するってどういうことなんだろうと。

自分を好きでいること。
自分をそのまま認めること。
自分を許すこと。

頭の中が否定でいっぱいだったら信頼などできない。

だから、良いことは今以上に、悪いことと今感じている事柄でさえも切り捨ててしまわずにプラスの面を見つけたい。
それを少しでも未来へ希望が続くような言葉に変えたい。

自分の言動を制限することとは違う。

様々な想いに善悪のレッテルを己が勝手に貼りつけ、悪と判定されたものを選ぶ自分を否定し続け、それに傷つき続けるパターンを変えるために見つけた今の時点での一つの方法。

……なことを考えつつ参加した9月のカウンセラーズトレーニングの会。

今回は基本のロールプレイ。
カウンセラー役とクライアント役の両方ともやらせてもらえた。

ロールプレイはどちらの役をやってもいろんなことに気づかされる。
今回はできなかったと思う事柄ではなく、できたこと、聴いてもらってより自分が理解できたこと、嬉しかったこと、安心できたこと、そういった想いを心に留め持ち帰ってきた。

それが今必要なワーク。
ずいぶんと幸せなワークだ。
posted by 静 at 23:28| Comment(0) | 修行中

2014年08月28日

学びの会

昨日も今日もなんだか涼しくてびっくりしている。
猫たちも、あれ?って思っているようだ。
でもまた暑くなるんでしょ?
あ、お久しぶりでございます。
マイペースに過ごしておりました。


あるワークにもうずっと取り組んでいる。
わかった!っと思ってもまた違う一面が現れてガーーン!としていた。

先月のカウンセラートレーニングの会で、自分のある面に注目せざるおえないことがあった。
ほぼ無意識の言動。
それに光を当ててもらい、ヒントをたくさんいただいた。
けれど、その時は受け止められなかった。
自分と向き合うチャンスだ!とは、どうしても思えなかった。

が、しばらくたってからある方とお話しをしている時に、あれ?となった。
いつものように傾聴して、シェアして…。
だけど、トレーニングの会でのことが頭に浮かんで気づいた。
「これか。」と。
私が気づくことでいつもと違うパターンとなり、そのかたも何かを気づいたようだった。

様々な自分に気づくということは、選択肢が増えるってことなんじゃないかなと思った。
その時々で自分の最善を自分の意志で決めていけることは本当に幸せだ。
トレーニングの会での出来事を有難いと心から思う。
その時受け止められなくても、大丈夫なんだ。

……てな、気持ちをもって今月のカウンセラートレーニングの会に参加した。
先月からの続きだ。と、今回強く感じた。
今必要なワーク。
自分の至らなさがまたしてもババーーンと出てきたのだけど、どよんとしている場合ではない。

またもらったたくさんのヒント、たくさんの勇気に私ができることは、私自身も日々努力していくことだけだ。

赤いボールを受け取ったら、違う色に変えたり数を増やしたりしないで、赤いボールでそのまま返す。
余計な思考はいらない。
その人のそのままを見つめる。
カウンセラーが寄り添うこととはそういうこと。
その人の言葉や想いのなかに答えはすべてあるのだから。
posted by 静 at 11:12| Comment(0) | 修行中

2014年06月25日

みんな大事、私も大事。

月に一度のカウンセラートレーニングの会。

今回のワークは、プラスのストロークを投げること。そしてそれを正確に繰り返し、しっかりと受け止めること。

例えばね…。と、先生が私を見て、私の良いところを挙げて私を好きだと言ってくれる。
私はそれをそのまんまに繰り返し、受け止める…はずなんだが…。
…あれ??先生なんて言ってたっけ?
焦る。
頭真っ白。
これは…。
「そんなことない。」「違う。」とかいう雑念も追い出して、そのまんまに自分の心に落とすためには真剣に、超真剣に聴かなければいけない。
…と、聴くことの難しさを予想しつつワークが始まった。
けれど、難しいのは聴くばかりではなかった。
大事な人に、こんなところが素敵だと思うとか、こんなところが大好きなんだと伝えることもとても難しかった。
気持ちはいっぱいあるのに伝える言葉が見つからないの。
それでも精一杯プラスのストロークを投げて、そしてそれを受け止めた。

ペアになってそれぞれ伝え、受け止めるワークをした後に、先生が「誰か別の人にプラスのストロークを投げかけたければどうぞ。」と言ってくれた。
その時、わー!先生に言いたい!投げたい!って思っていた。
でね、私ってば元気よく手を挙げてそのままの勢いで伝えたんだけど、これ本来の目的、趣旨とは全く外れた行動。
先生が「自分はこの場を見守らないといけないので。」というのは当然で、瞬時に「そうだったっ!!」と恥ずかしくなり、良識ある大人ぶって(笑)スマートに(爆笑)場をおさめたい私がいるのに、そのあとすぐに先生が私の気持ちを汲んでくれて、「ぜひ、私に投げて。」と言ってくれたら、私、ふてくされて拗ねてるし…。
けど、結局先生に大好き!ありがとう!って言ってるの。

頭の中で、「すいません、すいません!もう、この子は黙ってなさいっ!」って慌てて叫ぶ私のイメージが浮かぶ。
やりたい放題の私は、その慌てている私の顔をチラチラ見て気にしているものの、もう決して言いなりになって我慢したりはしないのだ。

思えば、大勢の中ではきちんと。目立ってはいけない。
人と違うことをしたらもうおしまい、絶対にそんなことしてはいけない。
そんな禁止令だらけで自分の気持ちを無視していた私が、前回のトレーニングの会でも、この技法を学ぶ目的は自分のため!とか言い放っているんだなぁ。
自分が喜ぶため、幸せでいるために邪魔な禁止令がずいぶんと解けているんだと気づいた。

今回、この私のやりたい放題を、ふてくされたり拗ねてる私を、仲間たちは笑って見守ってくれていた。
可愛いー。素直ー。と、褒めてくれた。
嬉しかった。幸せだなぁと思う。

先生ありがとう。
みんなありがとう。


このトレーニングの会での出来事を思い返していたら、娘が3歳位の頃の事を急に思い出した。
通っていた音楽教室で、パンがたくさん出てくる歌を歌う前に先生が「みんなはどのパンが好き?」と聞いた。
それはパンの歌を初めて歌う日だった。
娘は「わたしはクリームパンがすき。」と言った。
先生が笑顔で聞いてくれたことがとても嬉しかったんだと思う。
その後、娘はパンの歌を歌う前には先生に聞かれてもいないのに、毎回「わたしはクリームパンがすき。」と言った。
他のお友達は聞かれていないので言わない。
当時、その事が私は恥ずかしかった。
黙っていなさいと思っていた。

素直でかわいい子じゃん!
何度言ってもいいじゃん!って今は思う。

あー娘に悪かったなぁ。ごめん。と思って涙が出た。

自分にダメ出しばかりして、禁止令でがんじがらめだと人にも同じことをする。
それが最善と信じているからなんだが。
だけど、そうじゃないかも…これ、苦しいかも…と気づいたならいつまでも縛られている必要はない。
物事は1つの面だけではなく、様々な見方ができる。
それに気づいた時に、いつでもそこからやり直せる。
人ってホントにすごいなぁとしみじみ感じている。
posted by 静 at 22:38| Comment(0) | 修行中

2014年05月29日

トレーニングの会

1か月が早いなぁ。
…ということで、トレーニングの会である。

まずはじめに、この1か月の間自分がどう過ごしてきたかを話す。
今月はこの話をしようと思って行くと最初に話してくれる人から同じようなテーマが出て、次も同じ、次も…と続くから「!!!」と毎回なる。

時々、会のナビゲーター役をやらせてもらう。
ので、自分は一番最後に話すことになるのだが、仲間の話しに共感したり、励まされたり、自分とは違う視点にハッとしたり…。
とにかくそうしているだけで、癒されて満足している私がいる。
だから、みんなの話が終わり自分の番になっても、もう「じゃ、そういうことで。」とシェアの時間をおしまいにしてしまいたくなるが、いやいや…、自分も「私」の時間をきちんといただこうということで話をした。

テキストを使って学んでいた頃、自分の感情は自分のもの。とか、他人の感情で傷つけられたり、怒ったりするというよりも、他人の言動を見て、自分の思考パターンにより心に様々な想いが湧くのだと知っても、人の感情というエネルギーをどう扱っていいのかわからなかった。
なので、自分の感情にも誰かの感情にも相変わらずブンブン振り回されていた。

私はマイナスの感情を拾うのがかなり上手い。
そこからマイナスストロークをねつ造したりすることもよくやった。(妄想っスね)
このことが自分を苦しめているとわかっていてもずっと手放さずにいた。

マイナスを拾うとプラスの感情をポイポイ捨てた。
人は全面的に味方でないなら敵と。
100でなければ0。
極端だ。
そして、考えてみるといつでもそこに「私」は居なかったように思う。
いつも「誰か」がこうだったから、こう言っていたから…。と自分以外の誰かにより「私」を決定していた。

心理を学んでも、すべての問題が解決するわけではない。
それでも自分の問題と、誰かの問題を別物だと分けることができるようになると、心は穏やかなのだと知った。
心の穏やかさは何も感じないこととは違うことも知った。
「私」をありのまま、そのまんまに認めていると、その時々の喜怒哀楽をありのまま、そのまんまに感じられるんだ。
それは人にしてもらうことではなく、自分が自分のためにすること。

「私」のことは私が決める。

今回のワークでもそう思った。
強く思った。

カウンセラーは自分の心の状態を知っていて、幸せをたくさん知っていることが大事なのだ。


世界は「私」と「あなた」でできている。
自分を大切にしてできた自分の中のプラスのストローク貯金をどう人様のお役に立てられるか。
インプットしたものをどうアウトプットするか。

そんなことを今回あらためて思ったのは、会の終盤に先生がとある技法について、これを学ぶ目的はなんだっけ?と尋ねた時に私は「自分のため!」とはりきって答えてしまったから。
いかんいかん…。
間違っちゃいないけど、いかんだろと。

ここのところずいぶんと「私」と向き合ってきた。
それはとても大切な時間だった。
が、ここはカウンセラーのトレーニングの会だ。
それぞれの「私」を持つその人らしさがいっぱいのカウンセラーの集まる会。
ここにテキストだけでは得られない学びがたくさんある。
こんなありがたい機会に参加できるんだから、いろんなものを吸収してもっともっと良いカウンセラーになりたい。なろうと思う。
posted by 静 at 11:40| Comment(0) | 修行中