2016年09月01日

ブログ引っ越しました。

9月です。
だからというわけではないのですが、急に思い立ってブログをこちらに引越しました。
これからもどうぞよろしくお願いします。
リンクしてくださっている方へ。
お手数おかけしますがURLの変更をお願いします。
heartandhand.hatenablog.com
posted by 静 at 21:04| Comment(0) | 日記

2016年07月09日

少し前の節目の話。

6月末日、友人と夏越の大祓の大祓式に参列し、茅の輪くぐりをした。

一昨年初めて参列し、とても感動した。
昨年は行くことができなかったので、今年「また行こう」という約束が叶えられたこと本当に嬉しかった。

大祓式が始まるまで待機している時間が結構あるのだが、今年は涼しく待っていられるかなぁと思っていたのに、前回並みに蒸し暑かった。
暑いだろうと覚悟して待つのと、予想外の暑さではどっちが辛いのだろう。
ま、どっちも暑くてツラいのは変わらんのだが、気持ち的にはダントツに予想外の暑さだと私は思う。
そんなわけで、「つらーーーーっ」と思いつつ式の始まりをまっていた。
が、式が始まると風がさーーっと吹き、「あ、いらっしゃるのね。」と感じたり、神殿の空気の清々しさに感動したり…と、今年も節目の行事を満喫して帰ってきた。

しかし、である。
7月に入りずっと思っていた。
「スッキリしない」
…祓ったのに。
と、モヤモヤしていた。
だが、先日の講座の時に先生に少しだけ話したり、偶然にもそのあと友人と会えたりで、そのことについて話す機会に恵まれた。

そこで気づく。
自分が過剰な期待を持っていたこととか。
あと、巻き込むこと・巻き込まれることとか。

…うまくできてるなぁとこういう時に思う。
話を聴いてもらったことで、自分の状態を引きの目線で見ることが少しはできたかなぁ。

日々を過ごしていく中で楽しいことも嫌なこともある。
楽しい中にもひっかかることがあったり、嫌なことの中にも笑いを見つけられることだってある。
ならば今、できることなら自分の頭の中にある沢山の記憶のサムネイルは、嬉しかったり、楽しかった部分を切り取ったものにしていけたらいいなぁと思っている。



posted by 静 at 20:33| Comment(0) | 日記

2016年04月04日

感謝の一日。

劇団四季のファミリーミュージカル「人間になりたがった猫」に、今まで頑張ってきたご褒美にと招待していただいた。
初めに先生からそのお話を伺ったときは恐縮して、いやいやいや…。そんなことをしていただくほどのことはなんもしてないっスよ。と思ったが、先生の旦那様がさりげなくずっと見守ってくださっていたことがとても嬉しく、ありがたくトロフィーをいただくことにした。

とても素敵なミュージカルだった。
このお話を選んでくださったことに心から感謝。

始まってしばらくは舞台で踊り歌う様子をすごいなぁーとワクワクしながら観ていたが、ある歌になった時涙がでた。
それは、どんな状況でも自分の心ひとつでハッピーになれるよって歌だった。
これはとても深いお話なんじゃなかろうか…とそこでドキドキしてきたがその通りだった。
物語の中に織り込まれている、心は自分が作っていくものなんだよってメッセージがとても響いた。
だけど、お話の中心にあるものは「仲間の素晴らしさ」で、人はひとりでは生きられないってこと。
ちょっと今の私にはいろいろタイムリーすぎて、涙腺崩壊しそうだよ、と、涙をこらえつつも(それでも泣いてる)演者の方々の歌と踊りに魅了された時間を過ごし、感動でいっぱいのまま席を立ったら「♪悲しい時も仲間がいれば辛くはない♪」と歌いながら(笑)先生が私の手を握ってきた。
めちゃくちゃ嬉しいけど、今はやめてぇ。涙が止まらなくなるー(笑)
目をウルウルさせながら出口でお見送りしてくれてたキャストの方と握手した。

そのあと予約してくださったお店で食事。
美味しかったーー。
なんかみんなが本当に美味しそうに食べていて、それを見ているだけで嬉しく幸せな気持ちになった。

私はね、ワインをたくさんいただいてしまった。とても美味しいワイン。
お店の雰囲気もよくて、ワインボトルが並んだ素敵な棚があったので自分の家もあんなふうにしたいなぁと言ったら、「猫が乗るね」と猫あるあるな指摘を受けて、あー…。となった私だった。

いろんな話をして楽しくて素敵な一日を過ごすことができました。
あー、嬉しくて、楽しくて、幸せな日。
本当にありがとうございました。
posted by 静 at 21:10| Comment(0) | 日記

2015年11月03日

感想文その2 まだまだ拾うぜver

image.jpg

トレーニングの会の次の日、庭園美術館に行こうと家を出た。
実は一度行っているのだが、イベントに参加するための丸玉を忘れたり、その他にもいろいろと納得いかないことがあったため仕切り直したかった。
今回は忘れないように早目にビーズの丸玉をカバンに入れ準備は万端のはずだった。
…なのに。
目黒駅からのんびり歩いて美術館の入り口に着いたらまさかの休館日の看板が。
……もうさ、なんで確認しないんだろうと己を呪う。
しかし呪っていてもどうにもならん。
美術館の後、元気があったら渋谷で映画を観たいなぁと考えていたので、慌てて時間を見てみると、観ようと思っていた一つ前が、ギリギリ間に合うかという時間に上演することがわかった。
超早歩きでまた駅に戻り渋谷へ向かう。
渋谷駅からもガシガシ歩く。
普段は歩くのが遅いと言われている私だが、上演5分前に到着できた。
やればできるのね。
ハアハアいってるけどね。

それほど大きくない劇場内はいっぱいで一番前しか空いていなかった。
首が痛かった。
ここのシアター、二度ほど来てるがあまり混んでないイメージだったので驚く。

さて、座って落ち着きふと思う。
最近観たいと楽しみに思うものってもれなく暗いがこれもそうだろうか…。
同行者にそれを伝えてみたら、そうかもねぇと笑われる。
いやいやいやと考えを打ち消していると映画がはじまった。
「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」
ドキュメンタリー映画である。

物語はある青年がオークションで大量のネガが入った箱を競り落とした事から始まる。
自分の求めていた写真は見つからずその箱はしばらく放置されていたが、ある時改めて見て撮影されたものの素晴らしさに気づいた。
web上に何枚かアップするとコメントで絶賛された。
それから全てのネガを自分の元へ集めだし、撮影者を探したが何も手がかりはなかった。
しばらくしてからもう一度撮影者の名前を検索したら一件だけヒットした。
それは数日前の死亡記事。
そこから撮影者、ヴィヴィアン・マイヤーを知る旅が始まる。

謎だったヴィヴィアンの姿が徐々に形作られていく様に、この映画の監督でもあるネガの持ち主の執念みたいなものを感じた。

写真の素晴らしさだけでいいじゃん。
その人がどんな人間だったかなんてどうでもいいじゃんと思うが、謎は解きたくなるし、知りたいと思うのが人なんだろう。

ヴィヴィアンと関わった人達の証言でストーリーが進んでいく。
なぜか語る人たちの話が食い違いを見せていたりして面白かった。
でも、どれも本当の彼女だと思う。

ヴィヴィアンはナニー(乳母)として働きながら15万枚以上の作品を残した。
カメラを持ち歩き、撮影をしていたことを知る人はいても、その作品を見た人というのはいなかった。
誰にも見せなかったのである。
その作品は、街ゆく人々や子どもたちの様子や、そして自分自身をありのままにとらえている。

映画では、撮影された作品の素晴らしさを知ると同時にヴィヴィアンの暗部が見えてくる。(!!!やはり暗い。)

気難しく人との関わりを嫌う。
ある子どもたちへの虐待。
物を集め続けることでの周囲とのいさかい。
孤独。
ヴィヴィアンは悲惨な事件の新聞記事を好み、ほらね。やっぱりね。といった様子で読んでいたそうだ。
暗部の最たるところだろうが、そこで私は「そうか、彼女も人間クズ説を唱えていたんだな」と思った。

変わり者で他人の進入を許さず、闇を抱えた彼女だけど、その作品からは人が好きでこの世界が好きだという想いが溢れてるように見えた。

写真集が欲しくなった。

しかし、彼女は今の状況をどう思うだろう。
作品が人に認められることは望んでいたかもしれないが、知られなくないこともあったのでは…。
映画が終りそんなことを考えながら外へ出たら、同行者に、お前さんやっぱり暗さを選び取ってるねぇと言われた。
posted by 静 at 12:54| Comment(0) | 日記

2015年11月02日

感想文。感動よりも暗さを拾うのver

少し前にWOWOWで「百円の恋」をやっていたので観た。
映画館に観に行きたいと思っていて行けなかった映画だ。

主役の一子を演じる安藤サクラさんを知ったのは、「愛のむきだし」という映画だった。
なんだこの人はと思った。
サクラさんは可愛いし、美しい人だと思う。
けど、役の中の彼女はどうしようもなく気持ち悪くて不細工に見えた。(これ、褒め言葉)
で、「百円の恋」でも、なんだこの人は…と。

物語が始まってすぐのシーン。
ドカっと座り、テレビゲームをしている後ろ姿が映る。
シャツをめくり腰のあたりをぽりぽり掻いているが、腰回りがたぷん、ぷよんとしていて、それだけで怠惰な生活を送っているだろうことが想像できる。(…なんだかツラくなる。すでに投影(笑)
が、終盤のシーンでの彼女は、ボクシングにのめり込み、引き締まった身体にキビキビした動き。
その変化に驚く。
役の中での内面の変化を感じつつ、この見た目が全然違うっていうのがすごい。
これを2週間とかそこいらでやってしまうという役者魂にやられた。
スゲーお人だ。

しかしまぁ、この話の中の世界がしんどかった。
もー投影の嵐。大嵐。
状況は全く違うのに、そこに漂う空気や部屋の暗さとか、そういったものが自分の子ども時代を思い起こさせたのだ。

劇中で底辺と呼ばれる人の日々。
世の中は公平ではない。
人の弱さや傲慢さやクズっぷりをこれでもかと見せられた。
頑張りが報われるようには見えず、状況からすればダメはダメのままラストとなった。

見た直後は何も言葉浮かばず。
感動なんてとんでもない。
茫然。

が、今はこう思う。
幸福とか不幸とかは見た目や他人の価値観で判断するものではない。
一子が、一つのことを成し遂げたのは間違いない。
そこから何を感じ、どう思うかは本人だけのものだ。

みっともなくて痛々しい一子が、それでも進んでいこうとする姿にみんな感動したのかな。
私も一子は嫌いじゃない。
だから周りの男どもは許せねぇ。
このクズどもがっ!!!
そんな映画だった。

…コレ観た時にはもう「なんでも暗部拾うぜ!キャンペーン」真っ最中だったようで…。
なんかすまんです。(謎の謝罪(笑)
posted by 静 at 23:50| Comment(0) | 日記

2015年10月06日

傲慢でせつないのオンパレード

image.jpg


「屍者の帝国」を観た。
アニメ映画である。

フランケンシュタインによる屍体蘇生術が確立され、屍者が世界の産業・文明を支えている世界で、ホームズに出会う前の若きワトソンの話。
登場人物達は知ってる名が多くあり、それぞれの物語が絡みながら失われた21グラム、霊素=魂というものを通し、ストーリーは進んでいく。

原作を読んでいないからか途中、「????」となりながらも、生きること、死ぬこと、魂とは、言葉とは、感情とは、想いとは…。
そんなことが頭をぐるぐるしながら、せつないなぁって観ていた。
原作者達(プロローグを遺して亡くなった友人の原稿を引き継ぎ完成させた。)と、映像化された主人公がリンクしてて、それもまたせつなかった。

しかし、第九地区を観た時もマレフィセントを観た時も思った同じことを今回も思う。
やっぱ人間って、傲慢でクソだなって。
これって投影。
自分の中に傲慢でクソな部分があり嫌悪してるんだろう。
他人の中のそれを見てもガッカリしてしまう。
…だけど、愛や喜びや幸せを人との関わりからもらっている。
私の中にもそれはある。
それで私は生きていられる。
人に生かされていると感じる。
嫌悪し、苦悩し、バタバタしながらも何度でも歓喜し、信じ、救われる。

人間であるとはどういうことなんだろう。

思考すること。
様々な選択肢があること。
それを選択する自由があること。

スクリーンの中の人たちも、自分の答えを見つけていき、それぞれ進んでいった。

自分の事を自分で決める。
それはどえらい宝物なんだ。
だから傲慢でも、クソでも、なんでも、人として生まれてきたんだから、生きてる間は人間やっていくんだ。
(…口悪いなぁ、もう。)

…それにしても屍者だらけの映画だった。

あ、あと観てる時にペットセメタリーってホラー映画のことを思い出した。
あれは切なくて傲慢で哀しい映画だった。
posted by 静 at 08:29| Comment(0) | 日記

2015年09月12日

イメージは格闘家とか戦士とか…マリオとか(笑)

今週のはじめ教育分析へ行った。

楽しい話も楽しくない話もする。
楽しくない話をしている時、周りに振り回されず自分なりに分析していると思っていた事も、実は相変わらず無茶苦茶振り回されていたとわかる。
そのことに気づいた瞬間はちょっとショックだったが、まぁそうなるのも仕方ないかと思い直す。
不満いっぱい。
文句言いたい。
日々怒っている私。
その状態は気分の良いものではないが、不満も怒りももっともなんだ。と。
けれど、私は不満と怒りだけの世界にずっととどまり続けたくはない。
状況を変えることはできずとも、私が私のためにやれることはたくさんあるから。
それに、楽しくない事柄でさえ「面白エッセンス」みたいなものは潜んでいるはずと思うのだ。
そこを見つけて超真剣に真面目に面白がりたい。ふざけたい。

振り回されつつも自分自身の舵は離すまい。
私は私の想う通りに進んでいこう。

よし!かかってこいや!!(謎)という気持ちになっている今の私である。



今月中にアクセサリーのショップを引っ越す予定です。
引っ越し完了したらまたお知らせいたします。
posted by 静 at 11:07| Comment(0) | 日記