2015年08月23日

未知との遭遇はつづく

6月に行われた両国国技館SAKEROCKの解散ライブがスペースシャワーTVでダイジェスト放送された。
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私のいた席は2階の後方だったため顔はもちろん姿もよくは見えなかった。
YouTubeでの生配信も行われていたが、もともとそんなに近くで見たいとも思っていなかったし、その場にいられることが嬉しかった。
国技館が揺れたり、その場がひとつになるのを感じることができた。
がっ!
しかしである。
放送を観てどんな表情で演奏や話しをしていたのかを知り、これを観ていたのかぁ…と、少しうらやましく思った。
それにしても本当に素晴らしいライブだった。
…と、放送終わってまたジーンとしていた。

一人でSAKEROCKを聴きながらこれから過ごすか、と、曲をかけつつなんとなくTwitterを見たら、富士山麓で行われている長渕剛さんのオールナイトライブの様子が実況されてた。
その実況がインパクトあり過ぎで頭の中がSAKEROCKから長渕剛に変わってしまった。

http://togetter.com/li/864407?page=1

実況されてた方が面白くてゲラゲラ笑ってみてた。
でも、終盤やはりジーンとした。

知らない世界がまだまだあるなぁ。
posted by 静 at 16:57| Comment(0) | 日記

2015年08月14日

日本武道館へ。

13日に星野源さんのライブに行った。

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この方が作り出す音と言葉がとても好きだ。

ところで私は、観客がみんな揃って何かをするとか、ライブのお約束事とかが苦手である。
それ故に好きなアーティストでも家でDVD鑑賞でいいや、というタイプ。
が、源さんがリーダーであるSAKEROCKの解散ライブに行ってちょっと考えが変わった。
それは、基本、好きに過ごしてねっていうライブの終盤に、自然とみんなで歌った場面があり、その時なんだかジーンとして、あーいいなぁと思ったのがきっかけ。
武道館でもそういう瞬間があるんだろうなぁ…と、そんな気持ちを持ちつつの今回のライブ。

うん。楽しかった。
グッズなんかも今回は買っちゃうし。
とても楽しかったけど、なんかちょっとだけ違和感。

源さんは素晴らしかった。
アコギ一本で奏でる様々な音は心地よかった。
「くせのうた」を聴いたとき、ここにいられる自分幸せだぁと思った。

武道館でひとり遊ぶ源さんと一緒に遊んだ。
そんな感じ。
また、それぞれ好きに過ごすってのも変わらずだったように思う。
じゃ、なぜ違和感…。
観客皆好きに過ごすっていっても、共有する場にいるので、互いが楽しく過ごすための最低限のルールみたいなものがあるだろうと私は考えるのだが、最低限のルールってのも、きっと人によって違うんだよね。

声がけ一つとっても、私にとっちゃNGだ!と感じるものでも、そうではない人もいる。
たぶんそこらへんが違和感の正体。

だから楽しかったけど、あの「もうみんなっ!」ってジーンとしていいなぁと思う瞬間はこなかった。

同行者は別に気にならんかったらしい。
ホント人それぞれである。
posted by 静 at 21:00| Comment(0) | 日記

2015年08月13日

国立演芸場へ。

先日、友人と国立演芸場へ行ってきました。

落語です。
桂歌丸師匠の高座復帰初日。
お客さんではない方々がロビーにたくさんいて、大切な日だという雰囲気が漂っていました。

落語は普段私の周りにはありません。
知らない世界でした。
それでもとても楽しい時間を過ごし行けてよかったと思いました。

歌丸師匠の所作の美しさに目を奪われました。
一つ一つの積み重ねの賜物、まさに生き様を見せられたようです。

どうやら私は、古典芸能といわれるものにある伝統を守る姿勢とか覚悟とか、そういったものに対して心惹かれるようです。

舞台でひとりお話しされているのに、様々な場面や人物たちを感じ不思議な感覚でした。
ちょっとショック状態だったかも…な、フワフワした状態が家に帰ってからもしばらく続きました。
posted by 静 at 09:58| Comment(0) | 日記

2015年08月10日

トマシーナ

ポール・ギャリコの「トマシーナ」を読んだ。

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片田舎の獣医マクデューイは動物に愛情も関心も抱かない。
一人娘メアリ・ルーが可愛がっていた猫、トマシーナが病気になったとき、彼は安楽死を選んだ。
そのときからこころを閉ざすメアリ・ルー。
町はずれに動物たちと暮らす〈魔女〉ローリとの出会いがトマシーナに新たな魂を与え、そしてふたりを変える。


と、いうあらすじが本の裏表紙に書かれていた。


神を信じず、人の想いよりも自分の理屈を優先するマクデューイに友人である牧師ペディが言う。

「愛の力というものは、自分に課せられた人生を歩む、その道程を少しでも耐えやすくしてくれるってことを、君は信じていないのかい?」

マクデューイは娘を愛しているが、それは失った妻への愛情を鞍替えしたもので、自己中心的だ。
だって、娘にとってあんなにも大切なトマシーナを簡単に、本当に簡単に奪ってしまうのだから。
自分がもう価値がないと判断したのだから、早く片付けてしまおう。それの何が悪いと。

様々な人の想いが存在することは彼にとっては重要ではない。

……もうね、マクデューイの、自分は何も間違っていないって様がね、苦しくて堪らなかったっす。
ふたりを変えるってあるけどさ、(と、あらすじに怒る(笑)
何が悪いかわかろうともしない人は決して変わらないんじゃないか。やっぱりそうなんじゃないか。
…と、えらい投影してしまい、あまりに苦しく重く辛いので、読み方としては邪道だろうが途中を飛ばして結末を見てしまった。

しかし、私にとってはそれがよかったみたいだ。
見た後は心穏やかに、途中のページに戻り読み進むことができた。

見えないものを信じようと信じまいとそういうものに様々な影響を受けて私たちは日々を過ごしている。
希望でも、絶望でも、それは自分が思うとおりに選択している。

ギリギリのところでも、人は気づけるし、変われる。

あぁよかったと読み終わりに心から思った。
posted by 静 at 21:31| Comment(0) | 日記

2015年08月07日

ひとりではないのです。

イヤな時はイヤでいいのだと教えてくれるひと。

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今日聴かせていただいたお話は「わかるわかるわかるわかる……」というテーマだった。
だけど、わかるのだが同じではない。
どうしたいかとか、何を最優先とするかなどもそれぞれ違う。

それでも自分を苦しめるパターンに気づき、それとは違った選択をしたいという気持ちは同じ。
posted by 静 at 21:34| Comment(0) | 日記

2015年08月06日

頭が煮立ったままでは困るのです

毎日暑すぎる。でも見上げた空は青く美しいです。

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昨日は教育分析へ。
今の自分の立ち位置みたいなものとか、私はこれからどこに向かいたいのか考えるヒントなどをもらう。

あとね、自分の理屈っぽいところも再確認。
そういうヤツなのだから、いろんなことをごちゃごちゃ考えるよりも意識的にシンプルに。
もともとある直感を大切に。
嫌だと思うことに種類があり、それを認識する必要があるみたいなことを話したのだが、イヤの分類とか今はいらんだろ…と、思った今日である。
イヤでも出来ること、イヤだから出来ないこと。
出来ることをやり、出来ないことには向かっていかない。
それだけ。
しかしそれが難しい。
少しずつね。

それとやはり、自分が頑張れば事態が良い方向に動くかもと期待していた私がいた。
そんな私に先生から思いもよらない目からうろこの視点をもらった。
「そういう世代。」
努力とか気合いとかではどうにもならないことと認めるってことを。

あと構いグセの矯正の必要。
手を出すことをこらえること。
これは私らしさを守るため。
あなたらしさを尊重するため。
それはお互いの生きやすさにつながる。
posted by 静 at 22:43| Comment(0) | 日記

2015年06月11日

楽しく笑って頑張る。

あちこちに移動することの多い週を過ごしている。
あんまり慣れてないことなので体力続くかなぁと心配していたが、意外と頑張っている。
まぁ休めるところでは休んでいるし…。
それでも週も後半の夜ともなるとさすがに溜息が多くなる。
けど、あともう少しだ。
楽しみつつやっていこう。

先日の教育分析ではまたハッとさせられる。
自分の今の状況について私の認識と他の人から見た認識の違いとか。
様々な人のその人らしさを知る機会を与えらえれていることとか。
ものの見方や感じ方も元々自分が持っているものはそのままに、いろんな角度から見たものを知ることができるのは幸せだ。
トレーニングの会でも教育分析でも私はいつも元気をもらっている。
posted by 静 at 22:40| Comment(0) | 日記