2014年04月04日

吐き出せ、手放せ

体調があまりよくないのに訪ねてきてくれた彼女と久しぶりにゆっくり話した。
たくさん休んでねとお願いした。

様々な考え方、生き方の違いがあっても、自分なりのやり方で自分自身を生きようとしている人との会話は、お互いの想いを言葉にすることでできた心のスペースで何かに気づき、また自分を見つめることができるから楽しいし励まされるのだろう。


昨日、母とのやりとりでとてもしんどいことがあった。
母が言葉を発するだけで、私の中の負のスイッチがバチバチ入るように感じる。
大人の私は、子どもの私にあっという間に戻り、理屈ではない恐怖心というエネルギーに支配されてしまう。
けれどそれは、子どもの頃の私の想いではない。
「もう支配されるのはまっぴらだ。」という大人の私の想いに支配されているという図。
つまり妄想。
自分を苦しめる妄想は必要ない。
さぁ、もうマジでいいかげん手放そうか。と自分を励ます今日なのだ。

posted by 静 at 23:56| Comment(0) | こころの話

2014年03月05日

心の声を聴く

冷たい雨の一日。

教育分析に行く。

体調がまだ本調子じゃないなぁなどという話から始まり、日常の些細な出来事の小さな違和感がいくつも積み重なって、かなりの負担になっていることを理解した時間。

小さなことが大したことないって事はないんだ。
だって、小さな喜びや幸福感が心の支えになったりするんだもの。

だからそのちょっとした違和感に向き合うか、目をつぶって見なかったことにするかでその後が大きく変わってしまうことだってある。
そうしたことを実感中。

変えることができるのは自分自身とその未来。


しかしまぁ、今日は疲れました。
家についたらそのままバタン。
でもその疲労感も意味があることなんだと思ったりしている。


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なかなか写真を撮らせてくれない横ちゃん。
posted by 静 at 23:04| Comment(0) | こころの話

2014年01月22日

考え向き合いまた考え

毎日様々な感情と共に暮らしています。
が、いつでもその感情を露わにして過ごすわけにはいかないので、普段は心をガードします。
それは仮面をつけているようなものですね。
対人関係を円滑にするとか…自分を守るため必要だからなんですよね。

ただ仮面をずーーっとつけたままでいると、自分の本当の顔がわからなくなってしまいます。
感情を抑圧したままでいると自分が何を感じているのか、何を望んでいるのかわからなくなってしまう。

怒る時なのに、悲しむ時なのに、笑ったり、ごまかしたり、ポカーンとしていたり…。



先日、ギョッとすることがありました。
私にとってはありえないこと。
ただ、すぐに「ありえない!!」と声を上げることはできませんでした。
私以外の人達は問題なしと思っているのでは?
自分の勘違いが原因なのでは?
と、思ってしまったから。

仮面つけて、しかも他人の考えや気持ちを基準にして生きていますねぇ…。

これ、もう反射的におこる反応で、私の行動パターン。
ま、私らしさでもあります。

ですが、これ変だよと思う私も存在しているので、いろいろいろいろ考えます。
さらに話を聴いてもらったりして、また考えます。
すると…。
自己肯定感の低さとか、権威への媚びとか、他人を理想化するとか…。
できれば自分が見たくないようなものがたくさん出てくるのですが、表面化して向き合うことが自分のありのままを受け入れる一歩となるのです。
そして、自分の頭で考え、自分の行動を決め、それに責任を持つことができるのでしょう。

いろんな人がいて、それぞれの事情があり生きているんだと敬意を持てると、勝手に妄想したり、必要以上のガッカリ感を味わうこともなくなるのかもしれません。
…私はまだまだガッカリしてしまうのですが。

自分の領域に侵入し、傷つけようとする者に対しては正しくNOと言う。
良いものは良いものとして受け取りつつもそのことに過剰に期待したり、媚びたりせずにありのまま見ることの大切さを今回のギョッとする出来事は考える機会になりました。

それは誰から見て?と、今日も心に問いかけています。



posted by 静 at 23:08| Comment(2) | こころの話

2014年01月07日

交流のパターン

いつも自分を大したことのない人間だと話す人がいました。
けれどその人は様々な趣味を持ち、努力をして学んだり、作品として一つの形にしたり…。と、そういったことができる人です。

その人は自分の時間や労力をかけて出したその成果を自分の心の中で満足して喜ぶだけでは少しつまらないと感じ、誰かに共感してもらいと思いました。

その人の積み重ねてきたものはとても素晴らしいものだと思うので、話をきいた人はそれをそのままに伝えました。
なのに、それに対してもやっぱり自分は大したことのない人間だと言うのです。

そう言われたことで、話を聞いた人は努力や成果を共感しようとしたことが意味のないもののように感じました。

自分が言った「大したことない」という言葉をもし誰かに言われたなら、傷つきませんか?
という質問に「それはリップサービスよ。」という返事がきました。

いったい誰に対する何のためのサービスなのでしょうか。
自分をほめてもらうためにまず自分を価値を低くしなくてはいけないの?
だったら、誰かをほめるときには、その相手は自分は大したことないと言わないとダメなの?

そんなやり取りは自分に対しても話を聞いてくれる人に対してもとても失礼なことだと思うのです。



posted by 静 at 23:30| Comment(0) | こころの話

2013年12月10日

これでいいのだ。

こんな風に思う。

良い妻であるように。
良い母であるように。
良い子どもであるように。
つまり、良い人間であるように。

それは立派なことで、大事なことなのかもしれないけど。

でも、そもそも「良い」って誰から見て?

自分以外の誰かから見て。と、していたらとても生きづらかった。
それは自分を傷つけているから。
それは自分が「良い」と考える自分とは違うから。

自分の人生の主人公は自分自身。
主人公を活躍させないで楽しいストーリーになるわけない。

自分が「良い」と信じることをする。
それだけで景色が変わる。



何のつながりもないように思える様々な出来事がどんどんつながり、ある一つの答えが見えた今日でした。
けれど、その答えが終わりではなく引き続き課題であるという…。
生きているということは気づきと学びを続けていくことなんだなぁと思います。

posted by 静 at 23:11| Comment(0) | こころの話

2013年12月08日

ありがたいっすよ

胃腸が絶不調の日曜日。
困った困った。
自己ヒーリングしたり、カイロ貼ってみたり、食事に気をつけたり…できることをやっています。


夫が私の地雷を踏んで家が険悪な空気になることがあります。
お互いのとても子供っぽい言動が原因のことが多いので、「まーーったく子どもなんだから!ホッホッホッ。」と大人ぶって事態を収拾したいというのが私のパターンだとつい最近気づきました。で、それが自分にとってあまりよろしくないということも。

なので、今日も一眼レフが欲しいとずっと思っている私に、知らぬ間に買った複数台のコンパクトカメラを「ほらほらカメラマン♪」とか浮かれて見せびらかしてきても、「まー!たくさんあっていいわねー。」なんて言いません。
「なにそれ、欲しいカメラが買えない人にその仕打ちかい。」「悪いけど、一緒にわーい!なんてできないわ。」と低ーーい声で言うのでした。


私は怒りを相手に伝えるという苦手克服の機会を夫からたくさん与えてもらっているようです。
感謝しつつムカついています(笑)
posted by 静 at 22:25| Comment(2) | こころの話

2013年11月02日

大事大事。大丈夫大丈夫。

ごく普通に生活するだけでも、毎日いろいろな出来事があり、心が動きます。

弱ってる時には、無意識に問題を複雑にし余計に訳が分からなくなってしまうものです。

それでも本当の願いはいつでもシンプル。

できることをやらないでいたり、できないことを無理にやろうとするから、その不一致が自分を苦しめているのですよね。

今日はあらためてその事を考える機会に恵まれました。

私の願いは?
できることは?
できないことは?
一番大事にするものは?

問題解決のマニュアルを探し続けている間は見えなかったその答えは心の中にずっとあり続けていたのでした。



posted by 静 at 23:31| Comment(0) | こころの話