2013年06月09日

たとえば怒りについて

先日ある人と「怒り」についての話になりました。
喜怒哀楽、それぞれの感情自体は良いも悪いもないと私は考えます。
が、怒りの感情を良くないものと考え、その良くないものに振り回される自分にガッカリしている時に、感情に良いも悪いもないのよ。…と言われてもピンとこないでしょうし、今それに悩まされてツライのに!と、思うようなぁ…。
…などと、いうことをその時思いました。

怒り=悪という図式をちょっとわきに置いてみると、怒りの後ろ側にある自分の想いに気づいたりしますが、そのためには振り回されている(と感じる)自分に目を向けることが大切です。



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緊迫した空気。

緊迫しているので、扉を閉めてみました。
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扉越しに楽しく?遊ぶ2匹。
posted by 静 at 23:34| Comment(0) | こころの話

2013年01月27日

ともかくいつも健気ではあるのです

ある日のつぶやき。

「誰に対しても常に上でいたいと願っている自分がいる。
上から目線でイライラしていて、人を見下し馬鹿にしている自分。
どんな人との関わりでも対等ではなく、上下関係を作ろうとしている。
上になれそうもない相手には、気持ち悪いくらい下手に出て気づかいをしているようでいて、実は、自分はここまでやってあげているんだ。という卑屈な感情がそこにある。
何をやるにしても、いつも評価を気にしすぎて苦しくなっている。
誰かのために何かをしたいではなく、本当は誰かに褒めてもらいたいから何かをする。…それが自分の本心なのだろう。
だから、誰からも評価されなければ苦しいし、つまらない。
本当はそれほどやりたくないのかもしれない。」

片付けものをしていたら発見した紙の束。
いつ書いたのかもわからない。
たぶん数年前のものなんだろう。
その中の一枚。
なにやら人との関わりで自己嫌悪に陥った日のものらしい。
でも、その文章の一番下に、…たぶんこれは少し日にちがたってから書いたものと思われるのだが…。
「↑自分ダメモード・痛めつけモード」と書いて丸で囲ってあったので笑ってしまった。
そう、確かに自分がダメな酷い人間であるかを証明することに全力を注いでいる感じだ。

自分を見つめること、その上で自分自身を苦しめる思考に気づくこと。そういったワークは大切だ。
ただそれが、「だから私はこれだけダメな人間です。」で終わってしまうとそこから抜け出すのは難しい。
この自己嫌悪デーの文章も、上から目線でとか、気持ち悪いくらい下手にとか、卑屈な感情だとか、自分は誰かに何かしたいのではないとか…よくまぁ容赦なく落として叩くなぁと思う。
だからこそ、かつてはダメダメにとらわれて身動きがとれなくなったりしていた。

嫌な自分、ダメに思える自分(ホントはダメじゃないんだけどね)に気づいたら、近頃は「…で、私はどうしたいんだ?」と問いかける。
誰かはこう言っていた。とか、みんなはこうしている。とかは置いておき、いろいろとやっちまったかもしれないけど、今、私はどうしたいのか?と。

問題がきれいさっぱり消えてなくなる訳ではないが、「誰か」「みんな」ではなく、何があっても「私」を心の中心にしてあげるという当たり前のこと、自分を信じ続けることが大切なんだと思っているこの頃なのだ。
だから、自分ダメモード・痛めつけモードと気づき書いた自分が嬉しいし、自己嫌悪デーの自分さえも大丈夫だよと愛しく思う。
posted by 静 at 22:51| Comment(2) | こころの話

2012年04月03日

感情を知る

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大荒れの天気です。
皆さま大丈夫でしたでしょうか…。

今日はまだそれほど風も強くない頃にお客様がお見えになりました。

低気圧で体調が悪くなることはそれほどめずらしい事ではありません。
体と心はリンクしているので、体調が悪くなると気持ちが沈むことも別に不思議ではないです。
だから、調子が悪いことがダメなことではないのですが、あまりにも自分の感情にフタをし続けていると、その人の世界は全てがあいまいで説明がつかなくて、だからきっと調子が悪くなることすら自分がダメだからなんだと、そんな形で自分の今の状況を納得しようとするのかもしれません。

「だから、私はダメ」という答えで自分を納得させようとすると、本当の気持ちは無かったことにされてしまいます。
でも消えてしまったわけではないので、いつまでも心にモヤモヤを残します。
自分を納得させたかったのに、実は全然納得してないのです。

自分を大切にする方法はたくさんありますが、やはり自分の感情を自分が知っているということは、1番大事なことだと思うのです。
喜怒哀楽、どの感情も自分らしくあるための大切なものなのだから。
posted by 静 at 22:02| Comment(0) | こころの話

2012年03月22日

受けとった!

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最近、横山(猫)が一瞬しか顔を見せてくれないので寂しい私です。
その代わりというわけではないのでしょうが、一番臆病だった大きい方のミケちゃんが時々、なでてもいいよ。と近づいてきてくれるようになりました。


今日はすとーんと腑に落ちた!といった感じの気づきがありました。
それは些細な事のようでもあって、でも実はとっても大事なことだったりします。
なぜなら、自分が「そうなんだ。」と思えなければ、誰に言われても、何度言ってもらっても、その宝石のような言葉は受け取った先からポロポロとこぼしてしまうから。

こぼしてしまいたくないのに、受け取りたくない。そんな矛盾した気持ちを辿っていけば…。
あぁ、これは強敵だわ…。と思いかけて、いやいやそれすら、思考パターンの思うつぼなんだって。と自分につっこみをいれてみたり。

過去に自分と関わった人達を思い出し、そこから現在までずっと繋がっているんだと考えたら、否定的な言葉ではなく、感謝の言葉しか思いうかばなかったし、自分はだからこうしているんだ。だから生きていかないといけないんだ。と強く思う一日でした。
posted by 静 at 23:34| Comment(0) | こころの話

2011年12月19日

巧みなんだよ、とっても。

あなたが決めてくれないかなぁ…。という声にならない心の声。

迷っていたり、プレッシャーに押し潰されそうになっていたり、そんな時逃げたくなってしまう気持ちはよーーくわかる。
歩みを止めて、しばらくじっとしていたり、少し脇道で休憩するのが良い時もあると思う。
けれど、それを決めるのはやっぱり自分自身なんだよ。

思い通りに動かないその相手に「冷たい人だね。」と言ってしまう心の中にこそ冷たいものを感じる。
幸せを願い寄り添うことはできても、全てを引き受け代わりに背負ってあげることはできない。


思いやり、支配、罪悪感。
それぞれ違う気持ち。
でも、ジグソーパズルのパーツのようによく似た形で現れたりする。
間違いやすいその気持ち。
だから一つ一つを観察しよう。正しい場所におけるように。
posted by 静 at 10:41| Comment(0) | こころの話

2011年11月19日

ありのまま

雨です。風も強いですね。

午前中子どもを駅まで車で送った後はのんびりしてました。

なんとなくノートに思いつくままにいろんな言葉を書いていると、始めは自分以外の人の行動とか気持ちとか、そんなのばかりでした。
人の事ばかり書いているなぁと思い、「自分の心の中にあるフタは開けてはいけない。」と書いてみたら次々湧いてくる感情達。
私は相当なあまのじゃく、へそ曲がりのようです(笑)
そして、そんな時の気持ちは「小さな私」から出てくる事が多いので、いつも以上に漢字が減ってきます。
ひらがなだらけのノートには、まだ手放せてないもの、ありゃ戻ってきたの??ってものが並んでいるのでした。
理屈じゃない刷り込みみたいな感情達を「そうか、そうだね」と眺めているうちに、「あー、すっきり!気がすんだ!」と思っている自分がいるのでした。
posted by 静 at 17:10| Comment(0) | こころの話

2011年08月09日

ちょっと違ってはいたけれど

…いやはや、暑いっスね毎日。
昨日一番暑い時間帯に出かけたんですが、地面からの照り返しで体が融けるかと思いましたよ。


まーーた母と言葉のすれ違い発生。
お題は子どもを心配する親の心について。
母から発せられる心配という言葉をそのまま「心配」と受け取れない私。

それは支配では?
信頼していないからでは?
それは保身のためでは?
自分の心の平安のためでは?

ユルセナイ。
デモ、ステラレナイ。

いまだに漠然としたモヤモヤを持つ子どもの心の私が、大人の私の頭を使って疑念を作り出す。

しかし、その言葉の全ては今は親である自分の身に戻ってくるのだった。

完璧な人など存在しない。


愛なんて知らんわい!と思ってた頃は、理想の世界を、天国のような平和を焦がれていればよかった。
でも私の周りの愛ってものは、理想とも天国ともかけ離れているように思えたりすることもあるけれど、
確かに存在していて、グダグダで未完成なもので、でもそれを完成させたいと進み続けることが生きることなのかなぁと思っている今の私なのだった。
そして、それを知っている事を幸せと思っている。
posted by 静 at 21:19| Comment(0) | こころの話