2011年07月22日

忘れん坊

昨日は寒いくらいで、今日も割と涼しい一日でした。

最近なんだかイライラしている私です。
なにがそんなに気に入らないんでしょう…。自分に問いかけ、また心の学級会を開きます。


なにか行動する時、行動するパワーの源が自分に由来していないと行き詰ることが多いです。
私は「超」がつく人目を気にする人間でした。
人に認められたい。人に褒められたい。
でも、どんなに認めてもらっても、褒められても、もっと、もっと、まだ足りない、私はやっぱりダメだ。と思い続けていたのでした。
その事をはっきりと自覚したのは心理学を学んでいる時に先生から言われた言葉のおかげです。

「静代さんの心が満足するには、どれだけ沢山の人から、どれだけ沢山認められ、褒めてもらえばいいの?」
…と、たしかこんな感じで優しく問いかけてくださったのですが、その時はガーーンとしました。


人の評価を過剰に気にしてそれを最優先事項としていると、自分が本当はどうしたいのかがわからなくなります。
そして、人からの評価を気にしているだけで、その人を気にしている訳ではないというなんだかアチャー(?)な状態にもなっていたりした私でした。

それで、まず私が私を認めようと思うようになり、そうすることで、いろんな人達が私に今まで投げかけてくれた優しい言葉を大事にしよう、忘れないようにしようと思ったのでした。


…と、まぁ本日の学級会はそんな事を思い起こす会となり、いろいろ再確認、再認識することとなったわけです。
人ってホントに忘れる生き物です。(私だけ??)
posted by 静 at 21:25| Comment(0) | こころの話

2011年07月14日

自分で決めている

人は他人と何かしら関わりを持ち生きている。
いろんな方法で。
だから他人から色々な影響を受けるし、プラスやマイナスの交流で心が揺さぶられることも多い。

例えば、会話の交流がプラスの交流であれば、お互いの間を楽しく行き交うキャッチボールとなる。
だが、相手が取ることのできないボールを投げ続けるような、また相手から受け取ったボールをポイッと捨ててしまうような事ばかり続けるマイナスの交流をする人もいる。
それで、お互い嫌な思いをする。
その後、その場を離れてすぐに気持ちを切り替えようと思う人と、そうではない人もいる。
そうではない人は、自分を誰からも理解も相手にもされない存在だと思っているかもしれない。
でも、「なぜ私をわかってくれないの?」「なぜ私に何もしてくれないの?」そして、「私さえ、我慢すればいいんだ。」と心の中を不満でいっぱいにすることを自分で選択している。
心配して手を差し伸べている人のそのやり方が自分好みじゃないと受け取らない事も選んでいるが、それは気がつかない。(気づかないという選択をしている。)
そして相手の想いや、時間や、忍耐は、自分のこの苦しみに比べたら大したことないとも無意識に思っている。
誰かが自分が思う通りのやり方で救ってくれたら何もかもうまくいくはずなのに…。と、待ち続ける。
自分の苦しみの解決を自分以外の誰かに、何かに求めている間は、たとえある瞬間は「救われた」「楽になった」と感じたとしても、時間がたつとまた結局同じ問題が目の前に現れることになる。

ただ自分の内にある棘に目を背け続ける事を選ぶのも自由。
なにが幸せかを決めるのも自由。
今の自分は自分が選択した結果。
それは誰かに決めてもらうものではない。
posted by 静 at 22:52| Comment(0) | こころの話

2011年06月15日

本当は知っている

ある人がよく見る夢について一緒に考えました。
その人は自分の見る夢にいくつか疑問がありましたが、その答えは夢のことを話している途中で自分の口から語られました。
そうして自分が言ったことに「そういうことなのか」と納得していました。

夢の中に登場する全ては、その夢を見ている人自身といいます。
自分の無意識からのメッセージと言えます。
そのメッセージは楽しいものばかりではないので、受け取ることがとても難しく思えることもあります。
それでも向き合い「どうしてだろう?」「これはどんな気持ちなんだろう」と考えるだけでも様々な気づきが起こったりします。

そんなふうに夢を意識することで、その人がまた一つ自分の想いに気づき受け入れている様子がとても嬉しかった日でした。

posted by 静 at 00:49| Comment(0) | こころの話

2011年05月26日

自由なんです。

今にも雨が降り出しそうな曇り空。
こんな天気の時は体調があまりよくない。
と、いうよりも今週はずっとそんな感じ。
それでもバタバタと出かけている。


最近、私の中の子どもの心がのびのびしてるなぁ…と感じることがあった。
平気なフリなんてしないで、のびのびと(?)怒ったり、悲しんだりしている。
言いたいの。話したいの。聴いてっ!ってな勢いだった。
自由だね。ありのままだね。
そういうのって幸せだね。

かつて、インナーチャイルドは傷ついていて弱っている、助けないといけない存在と思っていた。
でも、違った。
傷ついてはいても、強くてパワフルで、優しく、時に頑固。
そんな「子どもの心の私」に、私はずっと生かされていたと心理を学び始めて知った。
だから、いろんな想いを解き放ってのびのびしていると感じることができるのは嬉しい。
本当に嬉しいよ。




posted by 静 at 16:11| Comment(2) | こころの話

2011年04月27日

イメージは学級会

正しく生きたい私。
怠けて楽して生きたい私。
優しい私。
意地悪な私。
前向きな私。
後悔ばかりの私。
いろんな私。

どの私が一番偉くて、どの私が一番ダメなのか。
そんなランク付けは必要なかった。

正しさに傷ついたこともある。
間違って見えることに救われたことだってある。

どんな所も欠けてしまったら私じゃない。
どんな私もみんな大事。

でも、一段高い所で腕組みしてる私、取りあえず降りてこっちに来てよ。
そこに居られるとなんだか怖いんですけど。
それに一人はさびしいでしょう?
仲よくしたほうがきっとずっと楽しいから。ね。


腕組みしてる怖い私は、自分の孤独を知りました。
監視され、押さえつけられていた私は、守られていたことに気づきました。
そしてどんな私もいつでも同じように懸命だったとわかったのでした。








posted by 静 at 23:15| Comment(2) | こころの話

2011年03月05日

違うココロ、同じキモチ

自分の事しか見えず、その考えに間違えはない、人はそれに従うべきだと無意識に思っている人は、人との境界も曖昧のように思う。
だから、自分の考えに従うということは100%、まるで自分そのもののように考え行動してほしいということ。
そうしてくれさえすれば、全てが上手く行くはず…と信じていて、願い続ける。でもこの願いが叶う事はまずないので、とても苦しい。
相手もできる限り、応えたいと努力しても認めてもらえず、とても苦しい。
お互い苦しくて少しも幸せじゃない。

物事はひとつの面だけにこだわると、もうそれ以上進めなくなる。

人は皆、それぞれ違った自分だけのココロを持っている。
どのココロも、喜びでいっぱいになったり、悩んだり、傷ついて痛んだりする。
それは男も女も、大人も子どもも、元気な人も、弱っている人もみんな同じ。




posted by 静 at 23:59| Comment(0) | こころの話

2011年02月18日

話を聴く、ということ。

かつて、私にとって人に受け入れてもらえないという事は、死の宣告をされるようなものでした。
大げさなようですが、当時の私は真剣でした。
なので、人との会話とはまるで闘いにむかうような気持ちで挑んでいたんだと思います。
なにせ命がかかっています。
絶対に受け入れてもらわなければいけません。
ですから、相手が話をしている時でも、どう答えたら相手に受けがいいだろうか…とか、自分が良く思われるにはどうしたらいいか…次は何を話したらいいか…などと、相手の話は頭の上を素通りで自分のことばかり考えていました。
そんな状態で相手をほったらかし、しかも自分で勝手に考え疲れ少しも会話を楽しむことができないでいました。
ずいぶんと相手に失礼ですし、自分の事ばかり考えている割には、受け入れてもらいたいと願っている自分の事はほとんど伝えられない上に、宝石のような貴重なお話も受け取れないでいた事はずいぶんともったいないことをしたなぁ…と今は思います。

カウンセリングを体験し、心理を学ぶようになって自分がいかに人の話を聴かないでいたかを知ることになるのですが、それに加えて、自分のありのままを話し、受け入れてもらえる事の嬉しさや、相手の話を聴き、相手の感情をシェアし「そうなのよ!」と言ってもらえた時の喜び、人との関わりは闘いではなく発見がたくさんある楽しいものであることを知ることができたのは私の大切な宝物です。

傾聴を学んだからといってすぐにスムーズにできる訳ではありませんのでトレーニングを続けていますが、今日傾聴トレーニングの会に参加して、あらためて傾聴の大切さ、そしてなにより人との関わり、会話を楽しむことの幸せな気持ちを感じることができました。
共に時間を過ごしてくださった皆さん、本当にありがとうございます。
posted by 静 at 23:43| Comment(0) | こころの話