2016年04月28日

日常(カウンセラートレーニングの会)

トレーニングの会。

お久しぶりのSちゃんがいらしていた。
会えて嬉しい。
その上素敵なプレゼントまでいただいてしまった。
ワー!と喜んでいたらNさんからもプレゼント。
今月が誕生月のAちゃんと二人でキャーキャー言いながら包みをひらく。
私やAちゃんを思い浮かべ選んでくれただろうことが伝わってくる。
あー本当に嬉しい。ありがとう。

今回のシェアリングの時間、やはり内容の濃いものだった。
それぞれが何かを乗り越えようとしている。
新しい方法を探してみたり、初心に戻ってみたりといろんな角度から。

発見があったり、思い出したり、納得したりと勉強になった。

私はある場所での自分のとった行動とその後の心の動きについて話をした。
自分自身はどちらかといえば課題のほうに目がいってしまっていたが、先生からとても嬉しいシェアをもらった。
私のとった行動は「すごいけど、その積み重ねを思えば当たり前なんだ。」と。

日々の一瞬一瞬は奇跡みたいな時間ではあるけれど、日常は地味で、単調なことの連続なんだと思う。
が、それを積み重ねていくことはとても難しく感じる時がある。
派手でわかりやすいものの方が目を引くしね。達成感とかも得られやすい。
でも、積み重ねによってでしか手に入れられない宝物がある。
それは決して揺るがない、奪われないもの。

刺激的な出来事だけを求め続ける人にとって日常はつまらない、何の面白味もないものと思えるだろうが、私は日常をなんとか攻略していきたい。
先生や仲間から知恵と勇気をもらいながらトレジャーハンターの気分で日常をバタバタと進んでいこうと思っている。



そういえば、先週体調が悪くてゴロゴロしながら動画をみたり、サイトをあちこち見て回ったりしていた時に、すごいアーティストさん達に遭遇した。
ゆるくてふざけてるようなんだけど、たぶんそう見えるようにすごい時間や労力を費やしている。
すごい!って思ってSNSにシェアしたらMさんが反応してくれた。
ある対象にどんな感じを受けるかなんかは人それぞれだし、全く同じに感じることは無理だとはわかっているけれど、反応ポイントが自分に近いとやっぱり嬉しくて、幸せだ。
これ面白い。好き。って差し出した物自体をちゃんと見てくれていることが本当に嬉しい。

調子に乗って、トレーニングの会の終わりにみんなでピザを食べつつ、の時間、みんなにも半ば無理やり動画を見せた。
見てもらい大満足した私だった。
posted by 静 at 22:07| Comment(0) | 修行中

2016年04月04日

感謝の一日。

劇団四季のファミリーミュージカル「人間になりたがった猫」に、今まで頑張ってきたご褒美にと招待していただいた。
初めに先生からそのお話を伺ったときは恐縮して、いやいやいや…。そんなことをしていただくほどのことはなんもしてないっスよ。と思ったが、先生の旦那様がさりげなくずっと見守ってくださっていたことがとても嬉しく、ありがたくトロフィーをいただくことにした。

とても素敵なミュージカルだった。
このお話を選んでくださったことに心から感謝。

始まってしばらくは舞台で踊り歌う様子をすごいなぁーとワクワクしながら観ていたが、ある歌になった時涙がでた。
それは、どんな状況でも自分の心ひとつでハッピーになれるよって歌だった。
これはとても深いお話なんじゃなかろうか…とそこでドキドキしてきたがその通りだった。
物語の中に織り込まれている、心は自分が作っていくものなんだよってメッセージがとても響いた。
だけど、お話の中心にあるものは「仲間の素晴らしさ」で、人はひとりでは生きられないってこと。
ちょっと今の私にはいろいろタイムリーすぎて、涙腺崩壊しそうだよ、と、涙をこらえつつも(それでも泣いてる)演者の方々の歌と踊りに魅了された時間を過ごし、感動でいっぱいのまま席を立ったら「♪悲しい時も仲間がいれば辛くはない♪」と歌いながら(笑)先生が私の手を握ってきた。
めちゃくちゃ嬉しいけど、今はやめてぇ。涙が止まらなくなるー(笑)
目をウルウルさせながら出口でお見送りしてくれてたキャストの方と握手した。

そのあと予約してくださったお店で食事。
美味しかったーー。
なんかみんなが本当に美味しそうに食べていて、それを見ているだけで嬉しく幸せな気持ちになった。

私はね、ワインをたくさんいただいてしまった。とても美味しいワイン。
お店の雰囲気もよくて、ワインボトルが並んだ素敵な棚があったので自分の家もあんなふうにしたいなぁと言ったら、「猫が乗るね」と猫あるあるな指摘を受けて、あー…。となった私だった。

いろんな話をして楽しくて素敵な一日を過ごすことができました。
あー、嬉しくて、楽しくて、幸せな日。
本当にありがとうございました。
posted by 静 at 21:10| Comment(0) | 日記

2016年03月23日

根っこの話(カウンセラートレーニングの会)

トレーニングの会へ行く。
調子が悪いぞと思いつつ。
プレゼントと優しい言葉が私を待っていてくれた。
嬉しい。
幾つになっても生まれたこと、自分がここにいることをわかってもらえるってのは嬉しい。
今年の3月も良い月だった。

シェアリングの時間では、どんな状況の中でも、どれだけ自分の気の済むような選択をすることができるか、とか、心の声をまず自身が聴こうよとか、そんな話しをした。
で、気づけてよかったと思う話だけで終わりますと言ったら、それだけでいいの?と。
結局、嫌だなぁと感じた出来事も聴いてもらう。
仲間たちからシェアをもらい、前半の話と後半の話も根っこは同じだね。ん?同じなのか??
やっぱ同じか!!!
…みたいな心の動きもあったりして、やはりこういうことは一人ではできないことなので、ありがたいなぁと今回も思う。


今回のワークは自分のネガティブな想いをそのままに語り、そのエネルギーを聴き手に半分渡すというもの。

ワークをやり、やはりそうだった。
と、思う。
私は自分の育った境遇を嘆き、苦しみ、悲しんではいるが、そのことが今まで自分を立たせ、支えていると思っている。
だからそれにまつわることはつらいものでも全て私であり、とても大切なものなのだ。
でもね。
私の周りにまとわりつくそのエネルギーは私の全てではない。
ま、私の一部だったとしても、それは自分が辛いなぁと感じているものだし、取り除いてもちゃんと立っていられる、むしろ手放したほうがいいということを私は知っている。
が、知るとわかるは違うものとだと何度となく見せられる。

「これがないと私じゃなくなる。」という頑なな思い込み。
でも、渡す。
手放しても大丈夫。
渡してもまた作り出すのだから。という先生の言葉。
そう、根っこは残ってるんだ。
良くも悪くも。
私が見つめ大事に想うのはその根っこだけでいい。
今までの自分の歴史。生きる為に知恵を絞り乗り切ってきた私。

さて、渡した後はどうなったか。
一瞬スッキリ。
その後カラッポ。
そしてダルダル。ボー。


会が終わった帰り道。
一人になって考えた。
空いたスペースにはどんな素敵なものを入れようか。
まずはいただいたプレゼントや言葉に込められたあたたかい想いを置き、そして源さんの歌を聴いた。
posted by 静 at 21:46| Comment(0) | 修行中

2016年03月10日

ただ聴くこと

毎月教育分析に行く。
カウンセラーが受けるカウンセリングである。
自分の考えた事柄をカウンセリングの場で言葉にすることで頭の中が整理され、そういうことかと納得したり、新たな発見があったり、次の課題が見えたり…と、自分自身のメンテナンスのために必要なとても大事な時間である。
話すこと、聴いてもらうこと。
それを繰り返すだけで今まで様々な変化がおきた。
本来の自分がずいぶんと顔をだしてきたと思う。
ま、出てきたのにまた隠れたりするのだけど。
進んだり戻ったりしながらいろんな私を少しずつ見つけている。

いつも思う。
自分が先生にしていただいているように、クライアントの未来を信じ続け、そっと寄り添うようなカウンセラーでありたい。
今回の教育分析では、そのために私がわかってなければいけないことを考える機会になった。

心の中には様々な私がいる。
大人の私はせっかちで仕切りたがりなので、普段小さな私は言葉を呑み込み何も言えない。
それでも、日常には小さい私の悲しみや怒りを発動させるスイッチはいくつも存在していて、そのスイッチに触れるたびに、大人の私がとまどうほどに毎回感情が揺さぶられてしまっていた。
スイッチを破壊することは不可能だし、大人の私はこう思う。「もう昔の話ですよ。」と。
だからそれを小さな自分に説明し、理解させようとしていた。
仕方のないことなのだよ。と。
でも、小さい私は「どうしてわかってくれないの?」と思っていた。
だからこそ感情が爆発して、毎回聴いてくれる相手を必死で探していたのだ。

先生は、話を聴き、同じ目線になり一緒に悲しんでくれた。
その時、そこにいたのは子どもの私と、子どもの先生だと感じられた。
二人で悲しみを悲しみのまま味わった。
そしてそれにより大人の私も、子どもの私に今必要なことは納得じゃなくて、悲しいつらいと言うことだったのかとわかった。
傷は深い。
本当に深いんだなぁと思い知った。

で、じゃあどうする?となる。
小さい私は思っている。
大人の私は話を聴いてくれないと。
けれど、できることは、聴くことだけ。
まずはとにかく私が自分自身の一番の聴き手になろう。
…聴くのはつらい時もあるだろうなぁ。
そう考えて、同じ目線になってくださった先生がどれだけすごいことをしてくれたのか実感した(遅い。申し訳ないです。)
スイッチが自分からテクテク歩いてきて、さあ押せ。これを押すんだ。ってことしてたもん。


私は未来を信じ寄り添っていけるカウンセラーでありたい。
だからまずは自分。
私が私を信じ、寄り添っていくんだ。
posted by 静 at 22:45| Comment(0) | 修行中

2016年02月24日

ひとりだけど独りではない(カウンセラートレーニングの会)

私は物事を決断することが苦手だ。
決断が恐ろしいのである。
なのでギリギリまでグズグズしている。
そして実は、できることならば自分で決めずに誰かに全てを決めてもらいそのレールに乗っかり何も考えずに生きていきたい。
…と、私のある一部分では思っている。
あまり好ましくないなぁと自分的に感じている部分ではあるが、確かに存在する私だ。

だがしかし、別の部分もある。
何でも自分で決めて、自分のためだけに思った通りに生きていきたい。
道なき道をガンガン進んで面白がりたい。
と、思っている。
そういう自分が好きだ。
ただそうするには、自分自身がよく知り、考えなくてはならないので時間も労力もかかるし勇気も必要だ。
思わぬ反対にあうかもしれない。
自分に本当にできることなのだろうか。
…など不安もムクムクわいてくる。
なので、日々の大体はその両極端な自分の真ん中ぐらいで折り合いをつけていくわけだが、時にはどうしてもそれは嫌だと感じる出来事もある。
勇気を出して決断し、私はこう思うと伝えることが必要な場面もある。
その時、どんなふうに伝えることが大切なのだろうか。
そんなことを考える機会が最近あった。

ところで、なぜだか毎回出来事がリンクするトレーニングの会。
今月の共通するものは「嫌だ」を伝える。
「想い」を伝える。その伝え方だった。
それに伴い相手を思いやるとはどういうことか。そんなことも少々。
やり方も答えもそれぞれ違う。
でも、その場にいる全員が悩み、考え、互いがヒントになり、決断して喜びを見出したり、幸せになろうとしている。

ある人の話で、聴くことが苦しくなった。
自分の古く深い傷に触れたせいだった。(この話はまた別の機会に。)

ただともかく、話を聴かせてくれたこと、これまで話を聴いてくれたこと、この場にいてくれることに感謝したかった。
私は現状を変えていこうとするその人に「自分のことだけ、自分が幸せになることだけ考えてほしい」と思った。
今は時間も勇気も人のために使ってほしくないと。
私はいつもこの人を見るときに、私自身が様々な時代の自分で見ているなぁと感じる。
どの時代の私も彼女を尊敬の眼差しで見つめているのだ。
なぜなら、いつでも大事な場面で最善の行動を取ることのできる人だからだ。

それぞれ自分の荷は自分が背負っていくしかない。
どんな決断であっても、本人が選んだものは尊重されるものであるはずだ。
それはそこに至るまでの苦悩や勇気を思えば当然だ。
他人が簡単にあれこれ言えるはずはない。
その荷は簡単に預けてしまえるものではないのだ。

それでも甘えることと頼ることは違う。

私ができることはほとんどない。
けれど、幸せを願っている人間がいるということ、そしていつでも手助けしたいと考えていることをこれからもずっと言い続けたい。

今回のワークはそんな気持ちを伝え合うようなあたたかで優しいワークだった。
それぞれの宝物を思い浮かべた。
その時々でいろんな映像が浮かんだ。
誰もが真剣に想い、伝えようとしていたからだ。きっと。
その一つ一つを順番に聴き、受け取り、心に収めた。

またそれぞれが自分の課題に向き合う。
でも独りではない。
大丈夫。
posted by 静 at 19:08| Comment(0) | 修行中

2016年02月10日

猫の話。私の話。


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教育分析の話やピアノの話もしたいが、今日は猫の話。

週の始めにカッパちゃんという名のお外猫の写真展に行ってきた。
ねりまねこさんというかたのブログに登場するニャンコなのだが、人気者となり今や日本中で写真展が開催されている。
私の住んでいる所からも行けそうな場所で何度か開催されていたのだが、今まで行くことができなかった。
今回は絶対に行こう!と決めていたもののなかなか行かれず、最終日ギリギリセーフでようやく念願のカッパちゃん(写真だけど)に会うことができた。

開催会場はおしゃれなカフェで、飲食するとカッパちゃんの缶バッチプレゼントという素敵企画もあったのでそちらでランチをいただいた。
写真を眺めながら食べる美味しいパスタとコーヒーに大満足。

お店のかたに、猫が好きなのかと聞かれ、なんだかとても話しやすい感じだったこともあり、ウチに来るお外猫の話、我が家の猫となった横ちゃんの母さんとの出会いから仔猫の手術、横ちゃん出産、里親探し…と、一連の出来事を「一人で本当に大変だった。」と話してしまった。
お外猫達や横ちゃんは幸せですね、と言ってくれたことに対して、ヒトの都合でやってしまったことだけど…。と応えたものの、その言葉を聞いて報われたようで本当に嬉しかった。
幸せな気持ちで店を出てしばらくすると同行者が「一人で大変ってずいぶん力説してたね。」と言った。
それを聞いてハッとした。
おいおい、ちょっと待て。
私、一人じゃなかったじゃん。
とても大変ではあったが、気づかい、助けてくれる人が周りにたくさんいて感謝してばかりの日々だったよ。
なのに、なぜ孤独な悲劇の人みたくなってんだ。

それにはいくつかの要素あった。

カフェで私の話を聞いてくれたかたは、愛護団体の方だと思う。
愛護団体に対して私は複雑な想いをもっていた。
自分の知識、認識不足もあり、横ちゃんの兄妹猫捕獲の時、複数の愛護団体関係者の方々に相談したくても突き離された対応を受けたように感じ、不安感や失望感がずっとあった。
だが、その時の対応を今はもっともだと考えている。
が、そう考えつつもどうやら私はその時味わった衝撃を未だに結構引きずっていたんだな。

そのうえ今現在、体調不良+少々ネガティブ思考チックとなっている。
なんであれ大変というキーワードがあれば同じものにしてしまっている感がありありだよ。

だから、ここの所じんわりした大変クン(何それ…(笑)が漂い続けてるそこへ団体関係者ときて、過剰に反応し(私の衝撃とは全く無関係の団体の人なのに)
大変だったんだから!!
一人で!!(団体と私だけの世界になっとる。)
と、言いたくなってしまったんだろう。
甘えん坊だね。
…申し訳ない。

今の大変と過去の出来事は別問題なのに何ゴッチャにしとるんだ、ワシ。
まったく、余裕がないとマイナスばかりを拾い、関わりも何もなしで兎に角くっつけて「ネガティブ団子」作って闇雲に投げつけてやしないかい?
もうカフェの人、優しすぎて天使のようだよ。
みんな同じようにいろいろある。ってことと、出来ることをできるだけ。ということを良しとしている方なのだろう。
と、そこまで考え、当時の愛護団体の人達の忙しいそうで、とても大変そうな様子が頭に浮かんだ。
私と同じように体調不良で余裕がない状態だったかもしれない。
そうであればマイナス要素しか拾ってくれないかもなぁ。
で、「彼らにとっての面倒で最悪な事態団子」(長いよ(笑)の一部に瞬時にくっつけられて、それ勘弁!と考え、全力で投げてつけてくるかもなぁ。と、今までの納得とはまた別の側面からとても腑に落ちたのだった。

あの頃、自分にできることは精一杯やったつもりだ。
それで十分だ。

そして今自分が出来ることは、
出来る範囲でお外猫と関わり、活動している方々を私なりに応援していくことであって、人様の言動にこだわり続けることではない。
ネガティブ団子作りでもない。

人の話を聴けるというのは、そのスペースがなければ難しい。
スペースは自分を労わり大切にすることにより自分が作らないとできない。
そのためにはやっぱり自分のことをまず大事にしよう。
ここのところ様々なエピソードから自分を労わることが大切だという答えに何度も行き着く。

そして、いつも何気ない一言がとても大事なヒントになっている。
ありがたいなぁ。
そういった言葉たちをこれからも聞き逃さず丁寧に拾える私でいたいと思う。
posted by 静 at 22:09| Comment(0) | こころの話

2016年01月28日

ありのままのわたし(カウンセラートレーニングの会)

1月がもうすぐ終わるってことにびっくりしてしまう。

冬はどうもドンヨリと元気がなくなる私なのだが、教育分析とトレーニングの会には行こうと思う。
向かうまでがツラくても行けば必ず何かヒントをもらえるからだ。

昨年末から精神的に疲れた状態が続いていた。
ものごとを客観的に見づらくなっていて、そんな自分の心と向き合うこともイヤで他人のことばかりついつい気になってしまっていた。
何も考えたくない。
そんな感じで1月のトレーニングの会は参加した。
近況報告でもそう話した。
でも、自分にきちんと向き合っていますよ。というシェアをМさんからもらった。
イライラしたり、悲しかったり、情けないぁと感じた出来事が多かった1か月だったが、そうか、向き合えているのかと気づく。

今月のワークは癒しのワーク。
けれど、私は先生から説明を聞く時点で「できるかなぁ」「怖いなぁ」と思いドキドキする。
さらに自分だけでドキドキしてるのが不安で、隣に座っていたNさんを巻き込んでしまった。
反省。
このドキドキはともかく、不安や怖さは正しい反応ではないなぁ。
怖くないってことを本当は知っているからなぁ。
だからワークが始まったらもう不安も怖さもなくなっていた。
もう「こわいっ!」って条件反射なんだろう。
まぁ仕方ない。徐々にね。
けど、人を巻き込むのはやめよう。うん。

私は今回のワークでクライアント役を2回やらせてもらった。
私にとってとてもありがたいことだった。
ワークの前に、私にはセラピスト役はできないと思った。
けれど、クライアント役でセラピーを受けていた時に私は「なんでもできる。」と言った。
セラピスト役をする時になって戸惑う私に、今回のパートナーだったAさんと先生が、私の言った「なんでもできる」を繰り返してくれた。
ありのままの私はなんでもできると言っている。
おかげで、変な緊張をしないですんだ。
大切なことを忘れないでいられた。
私が何かをするわけではないんだ。
クライアント役の仲間を見つめて寄り添うだけでいいんだ。と。

そういえば、一番初めのエンプティチェアの実習の時、私はクライアント役はヤダ!って思ったのを今思い出した。
それだけ、自分の内面を見ることを恐ろしく感じていたんだな。
でも、セラピスト役ならできるって考えてたのか?!って、今、その当時の自分につっこみたい。とても(笑)

セラピーの終わりにパワーストーンをひとつ選んだ。
私の名をつけ、この子を大切にすると約束した。
そのパワーストーンを先生がとても大切にしていたと後で知った。
先生はいつも惜しみない愛情をもって私たちを信じ、見守ってくれている。
このことに感謝して応えるために、これからもまずは私自身を慈しみ、そして自分のできることをやっていこうと思うのだ。
posted by 静 at 22:54| Comment(2) | 修行中