2015年10月01日

私のための私なりの今の答え(カウンセラーズトレーニングの会)

9月の終わり。
トレーニングの会へ。
体が重い。
クラクラする。
つらいなぁと思いながら向う。
そうしたら、みんなそうだった。
同じなんだと安心する。

皆がこの1カ月の出来事をそれぞれ話す中で、先生のある方へのシェアに、ハッとした。
心に響いた。
先生のお話しを聴きながら、いろんな想いがこみ上げる。

昔から私は、何か挑戦する時、結果よりもその過程が大事なんだと思って過ごしてきた。
なので…。
結果に後悔しないよう、そこへ向かうまでを大事に。
自分が出来る時に出来ることを精一杯。
てなことを、子どもの試験前とかにもよく言っていた。
これはこれでアリだとは思うが、私の中で、【結果<過程】って、図式があるということは、結果を軽く見ているのもしれない。

一つの目標に向かって頑張った!
なんか結果出た!!
じゃ、次行くかー!!!
って、イメージが浮かんだ。

その浮かんだイメージに対し今の私は、
…なんだか疲れる、それって。
と、感じたのだった。

(あ、上手くいかなかった時のために、「結果なんて…」って、思ってんのか??
だとしたら、「結果」超気にしてるわ。きっと傷つきたくないんだな。)

…て、話しをトレーニングの会での場面に戻すと…。

その疲れるイメージが浮かんだ時、積み重ねた一つ一つが宝物のようなものと知ってるはずなのに、私はその宝物をどこに置いていたのだろうか…。と思った。

先生はそこを「蔵」と仰った。
そして「お米」というキーワードも出た。

自分と向き合い、一つ一つ考え、少しずつ気づくこと。
ある時は目標達成出来ずとも、行動したことでなにかしら必ずある成し遂げたこと。
そんな「積み重ね」という宝物が「お米」だろうか。

田畑ばかりに気をとられないで。
新米だけが米ではない。
蔵にも目を向けてほしい。
…というようなことを先生は仰った。

自分と向き合うこと。少しずつ気づくこと。
その努力は、作物を育てるため、田畑の土を整えたりいろんな準備をするかのようだ。
そして何かを収穫し、新しい蔵が増えていく。
結果が蔵だと考えれば、蔵はまさに自分の歴史そのものだ。
蔵が並ぶ様子を眺めた時、それまでの自分の歩みを想うだろう。
蔵の中身の出来映えは様々である。
古いものも新しいものもあるが、どれも変わらず宝物であり続ける。
誰かに献上する為のものではなく、質を評価してもらう為のものでもない。

どんな過程もどんな結果も価値のある愛おしいものなんだなぁ。
そうは思えない事柄でも。
時間が経ってその価値に気づくことだってある。
大事にしよう。
忘れないようにしよう。
そして増えていく蔵に、自分の歴史に誇りを持とう。
どれも自分を支え、助ける。
そして誰かの役に立つことがあるかもしれないのだから。

ほかの方へのシェアだったが、聴いていて私自身が腑におちることができた。
考える機会を与えられたシェアリングの時間。
先生、みんな、本当にありがとう。

あ、そうだった。
今月も孤独な小さいひとが私の心に登場して、おいおいまたかよという瞬間もあった。
…いつまでも保留にしとくわけにもいかんのだろうなぁ。
と言いつつ、まだ保留。

今回のワークはある方の提案から、それぞれ言われて嫌だと思った誰かとのやり取りをその時とは違うどんな方法があったのか、自分はどうしたいのかを仲間の再現にヒントをもらいながら考えるもの。
こ、これはゲシュタルトだ…と、ワークの時間がだいぶ経ってから気づく。(遅い)

そして、ワークの中でのやり取りを見て、怖い…と怯えた瞬間があった。
心理を学んでる時に同じように怖いと思ったことが頭に浮かんだ。
でもその事に関しては今は置いとく。(また保留かい。)

私のワークのお題に対しての仲間の対応は見事としか言いようがなかった。
素晴らしかった。
ありがたかった。
それぞれの感じ方、どんな言葉で、どんな態度で対処していくかを見せてもらいながら、自分の心の動きはもっともなんだと理解したり、頭のガチガチ加減があらためてバッチリあらわれヒョ〜となる。(謎)

それにしても、どんなパターンになっても、みんな迫真の演技だった。
上手すぎる。
感心して見てしまった。
私ももっと技を磨かないといけないなぁと一瞬考えたけど、いやいやオイラ女優じゃないし。
まあいいや。と考え直す。

今回もワークが終わった後に食べるピザは美味しかった。

それにしてももう10月とは…。
まぁ、焦らず楽しくやっていこう。
posted by 静 at 09:37| Comment(0) | 修行中

2015年09月30日

hand&hand

お知らせです。
ネットショップ引越しいたしました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

http://handandhand.thebase.in

リンクしてくださっている方へ。
お手数おかけいたしますが、URLの変更をよろしくお願いいたします。
posted by 静 at 16:11| Comment(0) | ものつくり

2015年09月12日

イメージは格闘家とか戦士とか…マリオとか(笑)

今週のはじめ教育分析へ行った。

楽しい話も楽しくない話もする。
楽しくない話をしている時、周りに振り回されず自分なりに分析していると思っていた事も、実は相変わらず無茶苦茶振り回されていたとわかる。
そのことに気づいた瞬間はちょっとショックだったが、まぁそうなるのも仕方ないかと思い直す。
不満いっぱい。
文句言いたい。
日々怒っている私。
その状態は気分の良いものではないが、不満も怒りももっともなんだ。と。
けれど、私は不満と怒りだけの世界にずっととどまり続けたくはない。
状況を変えることはできずとも、私が私のためにやれることはたくさんあるから。
それに、楽しくない事柄でさえ「面白エッセンス」みたいなものは潜んでいるはずと思うのだ。
そこを見つけて超真剣に真面目に面白がりたい。ふざけたい。

振り回されつつも自分自身の舵は離すまい。
私は私の想う通りに進んでいこう。

よし!かかってこいや!!(謎)という気持ちになっている今の私である。



今月中にアクセサリーのショップを引っ越す予定です。
引っ越し完了したらまたお知らせいたします。
posted by 静 at 11:07| Comment(0) | 日記

2015年08月26日

マジな人たちとの楽しツライ日々(カウンセラーズトレーニングの会)


image.jpg



何かつらい時や上手くいかない時、自分の思考や言動が原因でその結果なのだ。という思い込みが私の心にある。

現実には自分の言動や願いや努力とは全く無関係に受け入れ難い事も起きる。
そういった場合、自分がどうこうという問題ではない。

出来事に関して、自分がコントロールできるはずと思い続けることは自分自身を消耗させるが、あまり成果を得られない。
が、起きたことに対して、自分がどういった視点を向けるか、どの部分を取るか、何ができるか、あるいはできないかは自分の望むものを選ぶことができる。
意識的であろうと、無意識であろうと。

自分が選択しているのは、出来事ではなく、出来事の受け止め方だということ。
それは同じことのようで違うもの。
そこの部分が混乱してしまうと、とても苦しい。
出来事ばかりに目がいき、無意識に選択する受け止め方が、自分を傷つけ不幸にするものだとすれば、尚のこと見つめる部分は原因と結果の関係追求より、その選択パターン。

なぜ自分はそれを選ぶのか?
どんな結末の脚本を持っているのか?
本当はどうしたいんだろう?
理屈や一般論や世間体はいいから今の自分の心に聴きあてはめる。

そんなことを考えつつ、あーもう1か月。
今月のカウンセラーズトレーニングの会の日。

シェアリングの時間は話したいことをそのままに話すことができる時間。
しかし、今回はだいたいの時間を決めて話した。
短い時間で何を一番伝えたいか考える。
自分の中での優先順位が見えてくる。
私が一番初に伝えたいことは、今月は楽しかった!ということだった。
楽しいを一番に伝えたいってのが嬉しい。
その後に、自分と向き合うということの気づきとこれからの課題と考えている冒頭の話をしたのだった。
様々な場面でこれからどれだけ希望や喜びを選択できるだろうか。
ワクワクドキドキだ。

いつもより短い時間でも、仲間の誰もが本気で(ここはマジでと読みたい私(笑)生きてると感じたシェアリングの時間だった。

先生がおっしゃっていた。
人はもともと、それぞれギフトを持っている。
自分のそれを知っていることは実に幸福なことなのだとわかった。


そして今回のワーク。
背中を向けている相手に「おーい」と呼びかける。
呼びかけられた相手はその声がどんな風に届いたのか表現し、自分のハートに届いたと感じたら振り返りそばへ行く。
それだけ。
それだけなのに、自分のパターンが見えたり、心の中の小さな人が現れたりした。
何だこのワーク、すげぇ…(感想)。…語彙の乏しさが哀しい。

それはともかく…。

呼びかけた。
「おーい」
届け届け。
大好きだよ。
相手を想う。
そんな気持ちで呼びかけた。
届いた。伝わった。
受け止めてもらえた。
嬉しい。

交代して呼びかけてもらう。
「おーい」
「おーい」

いつも私はボヤーーっとしている。
その状態を再現していたために、声は聞こえるが始めは「呼んでるなぁ」という感覚。
けど、その声は私に向けてくれてると実感できた時の嬉しさ。
私が「私」というだけで呼びかけてくれるその声は、なんと暖かく感じるのだろう。

幸せとはこういうものなんだと思った。

ある人の時、呼びかけの状況を先生が変えた。
ワークしている仲間の勇気を見た。
ワークが終わってから諦めそうになったと話してくれたが、諦めなかったその勇気。

その様子を見ていた時、心がザワザワした。
私の中の諦めきった孤独な人を感じた。
私の心の大部分は感動し、励まされていたのに、その孤独な人の心の部分は重いままでワークを冷めた眼差しでジッと見ていた。

勇気をもらった。
受け入れられることの喜びを見ることで私も癒されていった。
…はずなんだが、その感情は、私のそうあって欲しいという願いなんだと家に帰ってから気づいた。
また未消化な部分。
今はこの感覚を大事にする。

あと、今回のワークをカウンセラーとしての視点で話す機会をもらったのだが、あまりうまくいかなかったと感じたので、それもじっくり考えてみよう。
posted by 静 at 23:28| Comment(0) | 修行中

2015年08月23日

未知との遭遇はつづく

6月に行われた両国国技館SAKEROCKの解散ライブがスペースシャワーTVでダイジェスト放送された。
image.jpg


私のいた席は2階の後方だったため顔はもちろん姿もよくは見えなかった。
YouTubeでの生配信も行われていたが、もともとそんなに近くで見たいとも思っていなかったし、その場にいられることが嬉しかった。
国技館が揺れたり、その場がひとつになるのを感じることができた。
がっ!
しかしである。
放送を観てどんな表情で演奏や話しをしていたのかを知り、これを観ていたのかぁ…と、少しうらやましく思った。
それにしても本当に素晴らしいライブだった。
…と、放送終わってまたジーンとしていた。

一人でSAKEROCKを聴きながらこれから過ごすか、と、曲をかけつつなんとなくTwitterを見たら、富士山麓で行われている長渕剛さんのオールナイトライブの様子が実況されてた。
その実況がインパクトあり過ぎで頭の中がSAKEROCKから長渕剛に変わってしまった。

http://togetter.com/li/864407?page=1

実況されてた方が面白くてゲラゲラ笑ってみてた。
でも、終盤やはりジーンとした。

知らない世界がまだまだあるなぁ。
posted by 静 at 16:57| Comment(0) | 日記

2015年08月14日

日本武道館へ。

13日に星野源さんのライブに行った。

image.jpg

この方が作り出す音と言葉がとても好きだ。

ところで私は、観客がみんな揃って何かをするとか、ライブのお約束事とかが苦手である。
それ故に好きなアーティストでも家でDVD鑑賞でいいや、というタイプ。
が、源さんがリーダーであるSAKEROCKの解散ライブに行ってちょっと考えが変わった。
それは、基本、好きに過ごしてねっていうライブの終盤に、自然とみんなで歌った場面があり、その時なんだかジーンとして、あーいいなぁと思ったのがきっかけ。
武道館でもそういう瞬間があるんだろうなぁ…と、そんな気持ちを持ちつつの今回のライブ。

うん。楽しかった。
グッズなんかも今回は買っちゃうし。
とても楽しかったけど、なんかちょっとだけ違和感。

源さんは素晴らしかった。
アコギ一本で奏でる様々な音は心地よかった。
「くせのうた」を聴いたとき、ここにいられる自分幸せだぁと思った。

武道館でひとり遊ぶ源さんと一緒に遊んだ。
そんな感じ。
また、それぞれ好きに過ごすってのも変わらずだったように思う。
じゃ、なぜ違和感…。
観客皆好きに過ごすっていっても、共有する場にいるので、互いが楽しく過ごすための最低限のルールみたいなものがあるだろうと私は考えるのだが、最低限のルールってのも、きっと人によって違うんだよね。

声がけ一つとっても、私にとっちゃNGだ!と感じるものでも、そうではない人もいる。
たぶんそこらへんが違和感の正体。

だから楽しかったけど、あの「もうみんなっ!」ってジーンとしていいなぁと思う瞬間はこなかった。

同行者は別に気にならんかったらしい。
ホント人それぞれである。
posted by 静 at 21:00| Comment(0) | 日記

2015年08月13日

国立演芸場へ。

先日、友人と国立演芸場へ行ってきました。

落語です。
桂歌丸師匠の高座復帰初日。
お客さんではない方々がロビーにたくさんいて、大切な日だという雰囲気が漂っていました。

落語は普段私の周りにはありません。
知らない世界でした。
それでもとても楽しい時間を過ごし行けてよかったと思いました。

歌丸師匠の所作の美しさに目を奪われました。
一つ一つの積み重ねの賜物、まさに生き様を見せられたようです。

どうやら私は、古典芸能といわれるものにある伝統を守る姿勢とか覚悟とか、そういったものに対して心惹かれるようです。

舞台でひとりお話しされているのに、様々な場面や人物たちを感じ不思議な感覚でした。
ちょっとショック状態だったかも…な、フワフワした状態が家に帰ってからもしばらく続きました。
posted by 静 at 09:58| Comment(0) | 日記