2015年01月30日

もういいわかった。いてもいい。てか、いてください。(カウンセラートレーニングの会)

つづきです。
また半分以上書いていたものを全部消してしまい、心が折れそうになりながら書き直してます。


自分はダメだなぁ…誰かのように頑張っていないし…。
そういった比較で自分を顧みるのは不毛というか建設的ではないなぁと思う。
…が。
しかしである。やっちまうのです。やらかすのです。
いまだに。
それってどうなのよ?って思っていたのですが、今回のトレーニングの会で大小あるものの皆それぞれが何らかの形で持っているテーマなんだと知った。

私の周りにいる人たちは毎日を、その時その時を丁寧に生きようという考えを持ち過ごしている人たちだ。
たくさんの表現する言葉も持ち合せていて話を聴いていると「そう!そうなの!それだ!」と思う。
私がモヤモヤして言葉にできないものを表してくれる。
トレーニングの会での一人一人の貴重な話を聴くことは私を励まし癒すことなのだが、今回は「どうして自分はできない。」という言葉で頭がいっぱいだった。
しかも、このマイナス思考を持っているのは自分だけという孤独感を引き連れての近況報告だった。

自分以外の人やものや出来事で自分の評価が変わってしまうという私のクセ。匠の技化している。
これはそうしなければ生きていけない状況にあったからだ。
長い時間をかけてこの技に磨きをかけてきたが、近ごろは私は私。あなたはあなた。これはこれ。それはそれ。だから楽しいんだ。という別の技を手に入れた。
今はそっちをどんどん磨いていきたいと考えている。
じゃ古い技はもう必要ないんじゃね?捨てちゃえば?と思うものの、いつまでも持っている。
緊急の時や重要な場面ほど昔からの技を使い、喜んだり、傷ついたり、傷ついたり、傷ついたり…。
そう傷つくことのほうが多いんだよバーロー。
だからもう嫌なんだよ。
でもいつまでもいるんだよバーロー。
と、やさぐれる私。

でも、そうやって傷つきやさぐれる私を見て傷つき悲しむ人たちがいることを忘れてはいけない。

今回、古い思考パターンは幼少の頃から一緒に少しずつ育ってきているもので、そんなに簡単には手放せないとあらためて実感した。
このままずっと手放せないのかもしれないとも思った。
けど、トレーニングの会翌日の先生のブログに、「ゼロになることはない場合もあるが個性に変容していくのだろう」という文章が書いてあり、それを読んでいろいろ納得したし、ホッとした。

ありのまんまに受け入れることについて、実は私はまだきちんと腑に落ちていなかった。

様々な出来事により受けた傷、痛み、悲しみですら、喜びや幸福感と同じように私という人間をつくる大事なパーツであるならば、そりゃ一つ一つが必要だったんだろうと。
経験は私らしさをつくっているんだ。
これからは「自分を苦しめてしまう」という要素を除いていけばいい。ゆっくりと。
そんなふうに考えている。
posted by 静 at 21:35| Comment(0) | 修行中

2015年01月29日

ちゃっかりモモレンジャーをめざす。(カウンセラートレーニングの会)

去年の気づきからのハイテンションはお正月を過ぎてから落ち着いてきて、そのまま下降線。
あー極端な人間だ。

じんわりと続く心配事。
じんわり系もずっと継続していると堪えるんだ。
気持ちばかり焦り、体がストップをかけているのを無視している状態でさらに下降。

そんな状態で今年最初のトレーニングの会。

ピンクを身に纏う人が二人。
二人ともよく似合っていて可愛いなぁと眺めていた。

今回がっくり弱りっぷりを披露してしまったのだが、そんな私に自分がつけていたピンクのストールをクルクルと巻いてくれた仲間。
周りから「かわいー」と声が聞こえる。
そうか?と思う私。「可愛いか?似合わんだろ?」と。
でも「かわいー」は止まない。
受けとれ受けとれ。
何度も投げられるプラスのストローク。
言葉のボール。
受けとれ受けとれ。
…はい。受けとるよ。そのままに。
嬉しい。ありがとう。
そしたら巻いてるストールを「これあげる。」とさらにプラスのストロークがくる。
ごちゃごちゃ考えずに受けとる。
嬉しい。ありがとう。

自分自身によるジャッジの嵐でクタクタで体中の痛みが続いていた中参加したトレーニングの会。
愛とか優しさとか思いやりとか信頼とか希望とか喜びとかがいっぱいの花吹雪の中にいるみたいな時間を過ごした。

いつの間にか体の痛みは消えていた。


つづきます。

posted by 静 at 20:15| Comment(0) | 修行中

2015年01月17日

日常の中にあるものが大事なのだ。

昨日の夜は夫の妹くんが遊びにきてくれたので一緒にご飯。
ここのところはちょっとすれ違う程度にしか会えないでいたので、ゆっくり話すのは本当に久しぶりだった。
なんかあったのかなぁ…と思ったのだが、こちらを心配してくれていたようだった。
申し訳ない。
でも、ちょっと嬉しかった。


あるご夫婦のほっこりするお話しも聴けた日だった。
そんな会話ができるとはとても思えないとその方が感じている時もあったので、投げかけた言葉が優しく自然にかえってくる様が聴いていて本当に嬉しかった。
よかったなぁと思う。
posted by 静 at 17:21| Comment(0) | 日記

2015年01月08日

あえてボヤボヤする日々。

お正月飾りも片づけてすっかり平常運転だ。
年明けからあっという間だ。
この月日の過ぎるスピードの加速度合いって年齢が上がるごとに増す。
ホントぼやぼやしてたら1月も8日でござる。
しかし、まぁ引き続きのんびりぼやぼや楽しくやっていこうと思う。
どうぞよろしくお願いします。


さて教育分析に行ってきた。

私の前の時間はAちゃんだった。
ご挨拶をして少しお話しすることができた。
12月のトレーニングの会で、みんな大変なのに周りを変に緊張させることもなく、楽しく過ごしていて本当にすごいなぁと話したらAちゃんと先生から「静代さんも大変だったでしょ(ニッコリ)」との返事。
その言葉にハッとする。
そうだおいらも大変だった。
「大変」が「楽しい」に勝ったのならとても嬉しい。
が、正直それだけではなくて昔のパターンの影が心をウロウロとしていたのも事実。
「大変」を「たいしたことない」と思い込むクセ。
楽しいが続くことを良しとしない思い込み。
昨年の心の大発見で、私の周りには今いろんな楽しいことがあふれていて「わーーい!」と変にテンションが高いのだが、それを「浮かれてんじゃないよ。」とたしなめるような態度の自分がいることに気づく。
あーなんかまだいろいろと不慣れな感じの自分が切ないような微笑ましいような…。
これもまぁのんびり付き合っていこう。

私の次の時間はМさんだった。
なんだか今回は会いたい人に挟まれてて嬉しかった。
Мさんともご挨拶して少し(結構たくさん)お話しできた。
話は前後するが、今回先生とは楽しいを何度も言いつつ、年末年始の出来事などを話した。
で「夫が忘れん坊で困ってるんスよ〜」的な話もしていた。

話は戻るが、Мさんとあるやりとりでどうしても思い出せない事があった。
結局Мさんの素晴らしい洞察力で思い出すことができたのだが、こりゃ私も相当な忘れん坊だわと密かにガックリした。
しかし、忘れん坊のガックリする気持ちや、こうやって接してもらえたら嬉しいんだなぁということを体感できた。
それを夫に同じようにできるか?といえば、まぁ別問題なのだが(笑)
選択肢がいくらでもあることを繰り返し何度でも気づくことができる瞬間に私はとても恵まれている。


と、ここまで書いていた記事が夫をからかったせいでさっき全部消えた。
夫が職場同僚の女性ととあるイベントに行くとウキウキ報告してきたので、「デートですか、いいですねー。」と言ったら、動揺して猫のエサをひっくり返し、それを片そうとしてさらにその付近においてあるものをバラバラ落としていたので、「動揺してるー」とゲラゲラ笑っていたら、パソコンの電源が落ちた。
…人をからかうのはよくないわね。反省。
書き直しです。はい。

あ、そういえば先生とМさんとである動画を探すも見つからないということがあり、家でもう一回探してみたけどやっぱり見つからなかった。
そういうことも何かしらの意思が働いているのかしら…とその時思ったけど、さっきの電源落ちで確信する私である。

本当に毎日いろいろあって面白い。
posted by 静 at 21:36| Comment(0) | 修行中

2014年12月25日

どんな景色を見て生きていきたいかということ(カウンセラートレーニングの会)

私は私が楽しい嬉しいと感じることを一番大切にしたいと思う。


今年最後のトレーニングの会。
それは想いを伝え合う日となった。
たくさんの感謝と愛をこめて一人一人に丁寧に想いを伝える。
たくさんの想いをもらう。
ありがとう。ありがとう。
泣いて笑って、また感謝。

なぜこの場ではこんなに自由でいられるのだろう。
どうしようもない悲しみや、寂しさや、空しさ、押しつぶされそうな苦しさ…。
それを懸命に伝えようとしてくれる。
つらいことをつらいまま抱えていても、楽しいもの、可笑しいことをそのまま味わい笑う。
そんな仲間がいるから。
正直でいようとするから。
心をオープンにしてそのままの自分を伝えようとしているから。
だからなんだと教えてもらった。

先生が共依存と相互依存の違いについて話してくださった。
キーワードは「思いやり」

人に頼るのは悪いことではない。
自立しているということは誰にも頼らないことではない。
だって人は一人では生きていけない。

同じ場所に留まり続けて変わることをお互いに許さないそんな交流には思いやりも正直さもなく、互いの不幸にどこか安心するような歪んだものだ。

私は長いこと歪んだ交流の中で生き続けた。
けれど、人はいつからでも望めば違う選択ができると学んだ。
私はこれからも自分のために自分にとっての最善な方法で学んでいこう。

自分の時間が大切なように、誰かの時間も同じように大切なんだと知っていても、きっといつも何かしら迷惑をかけてしまっているだろう。
それでも「ごめん。ありがとう。助かる。」と心の中で時には声に出し、自分の想いに正直に生きることでの成長や喜びは、キラッキラの光となって周りの人の気づきや幸せになり得るんだ。
そんな素敵な交流がある。
互いの幸福を願い成長を喜ぶ交流。

私は幸せだ。
posted by 静 at 20:20| Comment(0) | 修行中

2014年12月06日

いろいろあっても楽しいが勝った週。

今週は教育分析に行ったり、娘と映画を観たり、ピアノのお稽古があったり…と、自分のための時間がたくさんあった週だった。

ところで、丸一日家に誰もいない状態が何日も続くと、うすちゃんがスネる。
話しかけても答えず、微妙な距離を保ちつつ無言で見つめるのだ。
俺様は怒っていると抗議しているわけだ。
横ちゃんは1年前くらいまでは顔を傷だらけにしてよくわからないストレスでいっぱいだった。
が、今はとても調子がいいようだ。
甘えたいときに甘え、構ってほしくなければ現れない。
素直に自由にのびのび過ごしている。
そんな様子は見ているこちらも楽しく幸せだ。
うすちゃんや、スネてる場合じゃないぞ。
ま、何してても可愛いけどさ。
寂しかったならこっちに来なさいってば。
なでくりまわしてあげるからさ。


教育分析では、先月のトレーニングの会からの自分の気持ちなんかを話した。
長いブログを書いたこともそれだけ自分が信じている領域を増やしているからなんだよなぁ…とか。
毎日空を見上げ、街を歩き、電車のドアの隙間からキラキラと光が漏れる様子とか。
可愛いお菓子を見つけて喜んだりとか。
楽しいこと、嬉しいこと、面白いことをいつも探して喜んでいる私がいるってことを。

あ、そういえば、映画を観に行ったときに本編始まる前に「野良スコ」っていうショートムービーをやっててね、「面白いーー!」ってすっかり気に入ってしまった。
娘に同意を求めたら「シュールすぎる。」と冷静に言われた。
でもいいの。
こういうのが好きなのよわたしゃ。



楽しい、嬉しいを根こそぎ奪われるような出来事に少し前なら思えたことも、それは違うぞと今は思う。
そもそも初めから誰にも奪うことなんてできないんだよって話。
自分で捨ててたんだな。
そんなふうに自分の気持ちに落ち着いて目を向けると、極悪人のように感じていた相手の感情にも気づく。
そして違う一面を発見したりする。
まぁ発見してもやっぱり、鬱陶しくて不快だし、ここでやらんで余所でやれって思うんだけどね。
posted by 静 at 21:14| Comment(3) | 日記

2014年12月01日

ひとりさんぽ

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11月29、30日に京王閣で開催された東京蚤の市に昨日行ってきた。
朝の時点でどうしようかなーと悩んでいたけど、娘が出かけるから駅まで送ってくれといってきたので、それじゃあ私も出かけてしまおうと。
午前中の早めの時間に到着できたおかげで、まだそれほどは人がいなかった。
のんびりと見て回れる感じ。
天気は良くて、色づいた葉っぱが可愛くて、それぞれのお店には素敵なものがいっぱいで、なんか楽しげな音楽とか演奏してるし、嬉しくって素敵すぎて泣きそうになっちゃった。
来年はこの気持ちを一緒に味わいたい人と行こう。絶対に。
posted by 静 at 20:38| Comment(2) | 日記